2024年04月19日

WW2ユーゴ紛争ヒストリカルゲーム「ボスニア194X」【ユーゴスラビア人民解放軍およびパルチザン部隊の装備について】

パルチザンで参加する場合の装備被服の一例です。
※基本的に入手可能なリプロダクトをピックアップしています。

無記章ドイツM43野戦服を着て、チトーフカ略帽を被ったパルチザン兵士。

左側の兵士はM43野戦服、中央の兵士はドイツ警察M36勤務服、右側の兵士はブルガリア軍野戦服でしょうか…

左右の兵士が被っているのは、HJスキー帽のようです。右側の兵士はイタリア軍ジャッカベントのような…中央の兵士はドイツ消防警察服を着用しているようです。襟章も取り外していないようです。





イタリア降伏に伴い、イタリア軍が管理していたソビエト労農赤軍捕虜収容所も解放されました。ロシア人はパルチザンに合流し、旅団規模を誇る勢力となりました。画像では殆んどの兵士がドイツ野戦服や警察勤務服を着用しています。



パルチザン慰問団。ほぼ全員がイギリス軍野戦服P40を着用し、ゲイターと短靴もイギリス軍のものと思われます。


ドイツ各野戦服:M36/M40/M41/M42/M43/熱帯服
ドイツ警察勤務服:M36/M41/M42/盛夏服
※M44野戦服や各種迷彩服は不可です。
靴類:長靴/短靴/山岳靴/運動靴
帽子類:略帽/規格帽/山岳帽/スキー帽
いずれも無記章が望ましいです。

イタリア野戦服:M37/M40
帽子類:バスコを除く各種略帽類

イギリス野戦服:P37/P40

ソビエト労農赤軍:ピロトカ※チトーフカ代用として。リプロダクトが望ましいです。赤星帽章は主催が頒布予定です。



トリグラフカやサイカチャの入手は困難かもしれませんが、もちろん使用可能です。

WW2ユーゴ紛争ヒストリカルゲーム「ボスニア194X」
【ユーゴスラビア人民解放軍およびパルチザン部隊の装備について】


必須野戦装備:装備ベルト/弾薬ポウチ/ホルスター/銃剣/水筒
装備ベルトはドイツ軍やイタリア軍、イギリスP37ベルトの使用可。ドイツ軍バックルを加工しなくても問題ありません。
オープンバックルベルトは華美な仕様でなければ同型品の代用可です。
〈装備注意事項〉
パルチザンはヒット&ラン(一撃必中)が主な戦術となります。行軍装備等は基本的には不要です。
※弾薬運搬等は別の部隊が担うため。
装備も実物である必要は全くありません。レプリカを推奨しています。
弾薬ポウチ類は本来2セット必要でも、あえて1つのみ装備すると良いです。
仕様が同じならば同型品での代用可ですが、明らかに異なる場合は使用できない場合もあります。
装備に関して不明な点がありましたら幹事までご相談ください。
〈階級について〉
階級に関しましては制限を設けません。将官でも兵卒でも自由です。ただし階級に応じた装備や武装をしてください。
※エアソフトゲーム時に参加者の階級を判断材料として、主催から部隊行動を一任する場合もありますのでご了承ください。
〈注意事項〉
ヒストリカルゲームは史実を模した状況で行われます。
当時の戦争で家族を亡くした方々が双方に存在しています。
イベント参加者の方々は、「自分たちが着用している戦闘服の歴史的背景」に関しては必ず念頭にいれておいてください。

  

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2024年04月19日

WW2ユーゴ紛争ヒストリカルゲーム「ボスニア194X」【枢軸軍(ドイツ)の装備について】


ドイツ軍で参加する場合の装備被服の一例です。
陸軍型野戦服:M36/M40/M41/M42/M43/M44/降下スモック等各種迷彩服/熱帯服
※M45野戦服やライバー迷彩服は不可です。
靴類:長靴/短靴/山岳靴/降下靴/運動靴
帽子類:制帽/略帽/規格帽/山岳帽/スキー帽/迷彩帽/各種ヘルメット



必須野戦装備:装備ベルト/弾薬ポウチ/銃剣/雑嚢/水筒
推奨野戦装備:サスペンダー/スコップ/ガスマスクケース類/飯盒
※Aフレームや行軍ラックサックは不要です。山岳ラックサック可。
〈装備注意事項〉
パルチザン討伐や定期哨戒が主な任務となります。行軍装備等は基本的には不要です。
被服装備は実物である必要は全くありません。レプリカを推奨しています。
仕様が同じならば同型品での代用可ですが、明らかに異なる場合は使用できない場合もあります。
装備に関して不明な点がありましたら幹事までご相談ください。

〈階級について〉
階級に関しましては制限を設けません。将官でも兵卒でも自由です。ただし階級に応じた装備や武装をしてください。
※エアソフトゲーム時に参加者の階級を判断材料として、主催から部隊行動を一任する場合もありますのでご了承ください。

〈注意事項〉
ヒストリカルゲームは史実を模した状況で行われます。
当時の戦争で家族を亡くした方々が双方に存在しています。
イベント参加者の方々は、「自分たちが着用している戦闘服の歴史的背景」に関しては必ず念頭にいれておいてください。  

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2024年04月18日

WW2ユーゴ紛争ヒストリカルゲーム「ボスニア194X」【ヒストリカルゲームのルール】

枢軸国側の目標

枢軸国側はパルチザンを掃討します。パルチザンの局地的抵抗を掃討、支援基地の排除、治安を維持すること。

パルチザン側の目標

支援基地の防衛、政府軍と枢軸軍に対する損害を強要し続けること。
枢軸国側に損害を与え続けることで最終的な勝利を迎えることができます。パルチザンは、ヒット&ランに徹してください。
ヒストリカルゲームなので、ある程度は軍事行動規範に沿ったゲームルールとします。
当日、主催より各陣営に任務を与えます。各陣営は目標を達成するように行動してください。
個人的な戦果を求めて行動しないよう、必ず心掛けてください。
ゴーグルやフェイスガードのタイプは指定しませんが、必ずエアソフトガンから発射されたBB弾に耐えうるものを使用してください。
また、状況中は外さないように注意してください。
いわゆるナイフアタックは不可です。
被弾した場合はオーバーアクション(声を出す等)してデッドマーカーを巻いてください。
デッドマーカーについて。

ゲーム状況中にデッドマーカー(100円ショップで購入可能な伸縮包帯)が必要になります。
こちらは参加者が必ずご準備してください。
状況中に1度被弾した場合は、自分のデッドマーカーを巻けば行動可能な軽傷扱いです。
ただし、デッドマーカーを巻いた状態で更に被弾した場合は、自力での行動は不可能な重傷状態となります。
戦友に助けてもらわないと復活地点までの移動も出来ません。

重傷者の救出方法
重傷者は戦友から手を引いてもらうことで移動が可能となります。
又、重傷者は戦友のデッドマーカーを巻いてもらうことでも自力移動が可能になります。
その代わり、手持ちのデッドマーカーは無くなってしまいますが…
重傷者は復活地点(リスポーン地点)でカウンターを押して、リストに参加者名を記入して復活となります。
衛生担当には主催から複数個のデッドマーカーを渡します。
※衛生担当は自衛武装可能です。衛生担当が負傷した場合は個人用デッドマーカーを使用すれば復活可能です。  

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2024年04月18日

WW2ユーゴ紛争ヒストリカルゲーム「ボスニア194X」



1943年-1945年までのボスニア・ヘルツェゴヴィナでの「ユーゴスラビア人民解放戦争」をイメージしたヒストリカルゲームを開催します。
イベント公式WEB:Contact!
開催日:11月23日 ヒストリカルゲーム
参加費:1日間参加¥4,000
30歳未満の参加者は参加費をキャッシュバックします。
場 所:千葉 サバイバルゲームフィールドGERONIMO
参加定員:40名予定
参加締切:定員に達し次第
参加資格:18歳以上の健康な男女※装備被服は自弁してください。
本イベントはヒストリカルゲームですが、実際の戦争をモチーフとしています。
往時の兵隊さん達への敬意を忘れてはなりません。
互いの陣営の参加者にも、良識と誠実さをもって接してください。
タイムスケジュール
11月23日(祝) ヒストリカルゲーム
08:00     送迎希望者はJR千葉駅西口集合※先着予約順です 
08:30-09:00 受付時間※弾速測定も行います
09:30-10:00 開会式・ルール説明※戦闘装備で集合してください
10:00-11:40 第1ゲーム
11:50-12:50 大休止 昼食・撮影時間
13:00-15:50 第2ゲーム
16:00-16:30 閉会式/結果発表
16:40-17:40 撤収時間
18:00   完全撤収

ヒストリカルゲーム概要
基本的にエアソフトガンを使用したヒストリカルゲームです。
主催より大まかな任務やシナリオを参加者に伝えます。その任務を双方でクリアして頂きます。
枢軸国の勝利条件

パルチザン拠点の発見及び破壊。防衛拠点の定期哨戒やインフラ整備など。
ユーゴスラビア人民解放軍およびパルチザン部隊側の勝利条件

枢軸国と傀儡政権、敵対勢力への徹底抵抗を行い祖国を奪還すること。

参加可能ユニット
枢軸国側
ドイツ武装親衛隊
ドイツ陸軍/東方大隊/海軍歩兵大隊/空軍野戦師団
税関国境警備隊/秩序警察
イタリア軍/MVSN
クロアチア独立国軍/ブルガリア軍/ルーマニア軍/ハンガリー軍/チェトニク
ユーゴスラビア人民解放軍およびパルチザン部隊
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ/クロアチア/スロヴェニア)
イギリス特殊作戦執行部(SOE)
元イタリア軍義勇部隊
元ソビエト労農赤軍義勇部隊
詳細は随時更新します。  

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2024年04月17日

WW2ユーゴ紛争ヒストリカルゲーム「ボスニア194X」【小火器類についての注意事項】

使用するBB弾は0.2gで統一します。
BB弾は主催より支給いたします。試射用BB弾は持参してください。
エアソフトガンに関する規定はASGKおよびフィールドに沿うこと。
初速計測時に規定をオーバーされた方はフィールド管理者の対応に従っていただきます。
セーフティエリア/フィールドでの銃口管理、安全確認は徹底してください。
エアソフトガンであっても銃を所持している、との認識は厳にしてください。
基本的に軽機関銃以外のフルオート射撃は厳に慎んでください。

小銃 HOP有り 
スプリング給弾マガジンを推奨しています。
使用するエアガンにスプリング給弾マガジンが無い場合は、実物の発射数と同じように射撃、再装填のアクションを行うように努めてください。
軽機関銃 HOP有り
弾薬箱(200発収納型)かベルトリンク(100発程度)をなるべく携行してください。
連続射撃後はフィードカバーを開ける等、再装填のアクションを行ってください。
※弾薬箱は使用者が携行しなくてもOKです。
拳銃/短機関銃 HOP無し
可変HOP機能があるエアソフトガンに関しては完全OFFにしてください。
拳銃と弾倉の落とし物が頻発します。ランヤードを付ける等、落下しないように注意してください。

手榴弾について:全陣営共通事項
模擬手榴弾の使用はOKです。投擲して落下地点の直径4m程度にいた方は全員負傷(すでに負傷テープの方は重傷扱い)とします。
投げ返しは紛失の原因となりますのでお止めください。
BB弾発射可能なガスグレネードも使用可能ですが、同じく紛失しないように気をつけてください。
紙玉火薬銃/モデルガンについて:全陣営共通事項
雰囲気用の発火モデルガンや紙玉発火ピストルも使用可能ですが、近接射撃や頭部に向けた発砲は禁止です。
発射後の撃ち殻などのゴミは必ず回収してください。

枢軸国側:使用可能小火器

小銃(HOP有り) マウザー98k系列 
機関銃(HOP有り) MG34・MG42・ZB26
短機関銃(HOP無し) MP38/40・MP41・STEN Mk2系列・MP18・ベレッタM1938A
拳銃(HOP無し) P08・P38・ベレッタM1934

パルチザン側:使用可能小火器

 上記の枢軸側の小火器を鹵獲品として使用が可能です。
太字はパルチザンのみが使用できる小火器です。
小銃(HOP有り) マウザー98k系列
リー・エンフィールド系列・モシン・ナガンライフル系列・38式歩兵銃
機関銃(HOP有り) MG34・MG42・ZB26
短機関銃(HOP無し)  MP38/40・MP41・STEN Mk2系列・MP18・ベレッタM1938A
トンプソンSMG系列・PPSH41
拳銃(HOP無し) P08・P38・ベレッタM1934
TT33

こちらに記載されていない小火器類については運営に事前にご相談ください。
  

Posted by Afghan1989 at 14:26Comments(0)イベント概要

2024年04月17日

WW2ユーゴ紛争ヒストリカルゲーム「ボスニア194X」【参加について諸注意】


1.参加資格は18歳以上の男女となります。
2.戦闘服と装備を事前準備できる方。主催による装備品類の貸与はありません。
※パルチザン参加者向けの赤星帽章は頒布予定です。
3.イベントに特定政治思想は絶対に持ち込まないでください。
4.フィールドまでの送迎希望者は11月23日JR千葉駅西口AM08:00集合です。先着予約順です 
※帰りの送迎便はフィールドを17:00に出発します。こちらも時間厳守です。

フィールドでの諸注意
1.フィールドは倒木や高低差があります。エアソフトガンを使用するゲームなので安全面を最優先した行動に注力してください。
2.フィールド内にはゴミを捨てないでください。
3.フィールド内は完全禁煙です。セーフティエリア所定の場所にて喫煙をお願いします。裸火厳禁です。
4.フィールド内ではゴーグル完全着用です。曇り止め剤は事前に準備してください。
フェイスガードの使用はOKですが、ネッカチーフ等で目立ちにくくしてください。
5.フィールド内でよくある落とし物として、BBローダーやピストル、弾倉等が見られます。
これらの装備類は落とさないように縛着してください。
6.状況中の写真撮影はOKです。スマートフォンやデジカメ等の機種制限はありません。
ただし、撮影による状況進行への妨げにならないよう留意してください。又、撮影時には必ず相手への了承を得てください。
無断撮影厳禁です。
7.駐車スペースに関してはフィールド管理者の指示に必ず従ってください。

セーフティエリア内での注意事項
1.セーフティエリア内ではエアソフトガンの弾倉を必ず外し、安全装置をかけて所持してください。
2.テーブルのスペースには限りがあります。占有することなく、着替えや装備をまとめるようご協力をお願いします。
セーフティエリアでの忘れ物が頻繁に発生します。撤収時には必ず身の回りをチェックしてください。
3.セーフティエリアには電子レンジと湯沸かしポット、飲用可能な水道があります。譲り合ってご利用ください。
セーフティエリアでガスコンロ等の使用はフィールド管理者の指示にお従いください。
4.セーフティエリアでのゴミの分別厳守。
空き瓶類は回収不可。必ずお持ち帰りください。

〈重要事項〉
エアソフトゲームですが史実を模した状況で行われます。
当時の戦争で家族を亡くした方々が双方に存在しています。
イベント参加者の方々は、「自分たちが着用している戦闘服の歴史的背景」に関しては必ず念頭にいれておいてください。
単なる戦争ごっこ遊びですが、参加者双方に敬意を表してください。
危険なエアソフトガンを使用するイベントです。エアソフトゲーム用ゴーグルやフェイスガード(推奨)を着用してください。
至近距離での射撃は極力謹んでください。顔面を執拗に射撃するような行為も厳禁です。
お互いに紳士的な行動をとってください。  

Posted by Afghan1989 at 08:40Comments(0)イベント概要

2023年06月29日

『DANGER CLOSE 196X』番外編・暗黒大陸アフリカ【参加について諸注意】



1.参加資格は18歳以上の男女となります。
2.イベント当日は体調が万全であることが参加資格の最優先事項となります。
3.参加費用は当日集金となります。参加出来なくなった場合でもキャンセル費用は発生しません。
4.会場には手洗い用水道(飲用可)があります。こまめに手洗いを行ってください。手洗い後用のハンカチやタオルを持参してください。
5.気温上昇による熱中症対策として、休憩時間を設定します。こまめに水分等の補給を心がけてください。
6.戦闘服と装備を事前準備できる方。主催による装備品類の貸与はありません。
7.イベントに特定政治思想は絶対に持ち込まないでください。

フィールドでの諸注意
1.フィールドは倒木や高低差があります。エアソフトガンを使用するゲームなので安全面を最優先した行動に注力してください。
2.フィールド内にはゴミを捨てないでください。
3.フィールド内は完全禁煙です。セーフティエリア所定の場所にて喫煙をお願いします。裸火厳禁です。
4.フィールド内ではゴーグル完全着用です。曇り止め剤は事前に準備してください。フェイスガードの使用OKです。
5.フィールド内でよくある落とし物として、BBローダーやピストル、弾倉等が見られます。これらの装備類は落とさないように縛着してください。
6.状況中の写真撮影はOKです。スマートフォンやデジカメ等の機種制限はありません。
ただし、撮影による状況進行への妨げにならないよう留意してください。又、撮影時には必ず相手への了承を得てください。
無断撮影厳禁です。
7.駐車スペースに関してはフィールド管理者の指示に必ず従ってください。

セーフティエリア内での注意事項
1.セーフティエリア内ではエアソフトガンの弾倉を必ず外し、安全装置をかけて所持してください。
2.テーブルのスペースには限りがあります。占有することなく、着替えや装備をまとめるようご協力をお願いします。
セーフティエリアでの忘れ物が頻繁に発生します。撤収時には必ず身の回りをチェックしてください。
3.セーフティエリアには電子レンジと湯沸かしポットがあります。譲り合ってご利用ください。
セーフティエリアでガスコンロ等の使用はフィールド管理者の指示にお従いください。
4.セーフティエリアでのゴミの分別厳守。空き瓶類は回収不可。必ずお持ち帰りください。

〈重要事項〉
エアソフトゲームですが史実を模した状況で行われます。
当時の戦争で家族を亡くした方々が双方に存在しています。
イベント参加者の方々は、「自分たちが着用している戦闘服の歴史的背景」に関しては必ず念頭にいれておいてください。
単なる戦争ごっこ遊びですが、参加者双方に敬意を表してください。
いわゆるネタ要素は状況が混乱してしまい大変危険です。
エアソフトゲーム中には基本的に行わないでください。
危険なエアソフトガンを使用するイベントです。エアソフトゲーム用ゴーグルやフェイスガード(推奨)を着用してください。
至近距離での射撃は極力謹んでください。顔面を執拗に射撃するような行為も厳禁です。
お互いに紳士的な行動をとってください。  

Posted by Afghan1989 at 12:54Comments(0)イベント概要

2023年05月03日

『デンジャー・クロース 極限着弾』を考察する12 ジャクソン准将について。


1ATF(1st Australian Task Force)第1オーストラリア統合任務部隊の初代司令官、オリバー・デイビッド・ジャクソン准将。
史実でのジャクソン准将の軍歴。
ダントルーン王立陸軍士官学校を卒業。1939年、第二次世界大戦勃発に伴い中東とニューギニアで勤務。
その後、朝鮮動乱では1RAR大隊長となります。
その後1965年には、オーストラリア陸軍訓練チームベトナム(AATTV)と在ベトナムオーストラリア軍(AAFV)を指揮。1966年に第1オーストラリア統合任務部隊(1ATF)初代司令官となりました。
と、立派な戦歴の持ち主であります。
執務室でふんぞりかえっているだけの人物ではありません。

劇中でハリー・スミス少佐がジャクソン准将の執務室での会話(脚本版)をザックリと紹介します…

准将 ハリー、用件はなんだ
少佐
私は軍人です
父も軍人でした
少佐
とても誇れる職業で―神聖です
少佐
私には指揮すべき部隊がありますが―私はここにいます
※新兵だらけの部隊を揶揄しています
少佐
まるで赤ん坊のお守のような任務です 私の経験と能力が無駄になっています
少佐
私にはふさわしい場所があるはずです
准将
君は元は徴集兵だったな?
少佐
そうですが職業軍人として改めて志願しました
准将

ダントルーン士官学校卒業かね?
※名門士官学校。通常は4年間で卒業となる。
少佐

ポートシー士官候補生学校卒業です
※短期士官養成学校。6ヶ月で卒業となる。
准将
ダントルーン志望では?
少佐
ダントルーンへ入るには学位も学費も足りませんでした
※ポートシーは学位不要。
准将
それでも 君は転属する権利があると考えている
准将
他にいい部隊があるのかね?
少佐
悪く思わないでください
准将
転属希望はどこだ?
少佐
コマンドーです
准将
古巣に戻るのか?
少佐
私の実力を理解し―正当に評価できる指揮官のもとです
准将
タウンゼンド中佐と違ってかね?
准将
中佐が嫌いか?
准将
よく聞きたまえ
准将
彼は大隊長であり貴官はその命令に従う
准将
彼が私に従うようにな
准将
分かってるだろうがそれが軍隊だ
准将
話は終わりだ

作品冒頭でハリー・スミス少佐が書いていたのは転属願いだったのが分かりますね。
ちらっとコマンドーのベレーも映っていました。
少佐は1955年から1957年までの2年間、2RAR(第2歩兵大隊)C中隊9小隊長として勤務していました。
そんなわけで戦場での経験も長く、少佐の甘い考えも完全にお見通しであるジャクソン准将。
大局的な物事の見方が出来る人物です。
物語の後半、D中隊の救援として虎の子であるAPC部隊を差し向ける際に、タウンゼント中佐と作戦方針についての会話があります。



…この辺りの流れを完全に読み違えている人がいます…実際のところ、1ATFに対して解放戦線D445(445大隊)が突入を意図していたと戦闘後の捕虜から証言も得ています。

↑図のD445の機動に注目。しかしD中隊を包囲するように後退したところ、APC部隊による攻撃を受けています。

「保身の為功績の為に行動する上役の為に現場が混乱するというのは多々あるのですが、戦時では大きな悲劇になります。その不条理に涙しました。 」公式サイトにはこんなコメントがありました。
映画はエンターテインメントなので、描写の全てが史実でなくてはならない、とまでは思いません。
史実だけ知りたいのなら、ドキュメンタリーを見るか戦闘詳報でも読めば良いんです。
ただし、作品の本質を完全に読み違えてはいけません。

劇中では、一兵卒から最高指揮官までが様々な判断を求められています。
ジャクソン准将とタウンゼント中佐の判断も、あの闘いでは正しい方を選択したと言えるでしょう。もちろん、スミス少佐の判断も。

出典:「デンジャー・クロース 極限着弾」公式サイト  

2023年05月02日

ベトナム派遣オーストラリア軍について②


~オーストラリア陸軍 第3歩兵大隊 第2次ベトナム派遣~

東南アジア条約機構(SEATO)の主要構成国であるオーストラリアは、1962 年より軍事顧問団のベトナムへの派遣を開始しました。
1965 年からは大規模な兵力の派遣を行っています。
ここではオーストラリア陸軍 第3歩兵大隊 (3rd Battalion, The Royal AustralianRegiment)の第 2 次ベトナム派遣(2nd Tour)について簡単に説明してみます。
1970 年、ニクソン大統領によるベトナミゼーションが開始され、アメリカ軍とオーストラリアを含む同盟国軍も段階的な撤退を開始していました。
第3歩兵大隊の第 2 次派遣は 1971 年 2 月から同年 10 月までの 8 ヶ月間、再びフォクトゥイ省ヌイ・ダットに駐屯を開始。
共産軍は戦力が減少した隙に乗じて、支配地域の拡大を図って戦闘は一部で激化。
第3歩兵大隊もロンカンの戦いと呼ばれる大規模掃討作戦に従事しました。

第3歩兵大隊B中隊5小隊の集合写真。
ロンカンの戦い

1971 年 6 月 6 日に実行された『オーバーロード作戦』に呼応して、第1オーストラリア統合任務部隊(1ATF)は、ロンカン省に存在している
南ベトナム解放民族戦線(NLF)D445 機動大隊及びベトナム人民軍第33連隊のベースキャンプを撃滅すべく、大規模掃討作戦を実行しました。
センチュリオン戦車を含む機甲部隊、砲兵部隊による支援砲撃も行われ、第3歩兵大隊とニュージーランド兵を含めた第4歩兵大隊による侵攻が開始されました。
しかし、事前に大規模作戦の予兆を感じていた D445 と33連隊による徹底的な防御戦闘と、巧みに配置された阻止陣地の頑強な抵抗を受け、侵攻は停滞していきました。
オーストラリア歩兵部隊への弾薬補給に投入されたヘリコプターも、北側に撃墜されるほどの激しい戦闘が続き、やがてセンチュリオン戦車の突入により北側の陣地も次々に陥落。 ロンカン省の共産軍ベースキャンプ掃討作戦は当初の目標を達成しました。
しかし D445 大隊と第33連隊の兵士は人員の大半が戦闘地帯からの脱出に成功しています。
1971 年10月6日、最後の第3歩兵大隊兵士が同地より離れ、祖国へと帰還しました。

M1956 歩兵戦闘装備の改善要求

オーストラリア軍は、アメリカ陸軍の M1956 歩兵戦闘装備を採用していました。当時の水準として先進的な M1956 歩兵戦闘装備ではありますが、戦地で使用されるうちに欠点も見られるようになりました。
マガジンポーチは L1A1 弾倉を各 2 本のみ収納可能、シュラフ/寝具はクイックリリース可能なウェブストラップでサスペンダーに固定するようになっていましたが、密林内での携行性は悪く、また木の枝などでズタズタになってしまいました。 堅牢な M1956 歩兵戦闘装備ではありましたが、過酷な戦場での消耗も著しく、前線の兵士たちからの改善を求める声が多数あがったと考えています。

オーストラリア M1956 歩兵戦闘装備について





前線の兵士たちからの改善要求に対して開発されたのが、オーストラリアが自国製造したM1956 歩兵戦闘装備です。マガジンポーチは L1A1 弾倉を最大で 4 本収納可能、これまで使用されていた P37 ラージパックに代わる新型ラージパック、ワイヤーフックと ALICE クリップを備えた水筒、新素材を使用した H 型サスペンダー、容量の増えたキドニーポーチが開発されました。


マガジンポーチは大型化され弾倉の収納数は増えましたが、引き続きポーチ内には手榴弾を収納し予備弾薬クリップはバンダリアで携行せよ、と統制された部隊もあったようです。



新型ラージパックは上下 2 層に分かれており、上層には携帯口糧等を、下層には寝具を収納する構造になっています。ショルダーストラップはクイックリリース機能が備えられています。
水筒は 2 通りの装備ベルトへの縛着方法が選択可能ですが、ワイヤーフックは引っ掛かりやすく専ら ALICE クリップでの使用が好まれていたようです。
ベトナム派遣オーストラリア軍の新型戦闘服





これまで使用されていたジャングルグリーンシャツとクロスオーバーベルト型のトラウザースに代わり、より実戦向けの戦闘服も導入されました。Pixi シャツと呼ばれるジャングルグリーンシャツとトラウザースが正式導入された時期は、残念ながら分かっていません。Pixi シャツは胸ポケットが大型化され、両上腕部にはポケットが追加され個人用包帯等が携帯できます。又、着丈も短いのでシャツをトラウザースに託しこまずに着用することができます。

1枚襟で袖部分に補強がある1型、2枚襟で袖部分の補強が省略された2型、2型とほぼ形状も同一なるも生地が薄手の木綿になった3型を確認しています。


トラウザースの大腿部正面には大型ポケットがありますが尻部ポケットはオミットされました。腰にはアジャスターが付いています。トラウザースに関してもポケットの仕様に差異が複数あるようですが、これらは製造メーカーによる仕様違いなのか分かっていません。
ベトナム派遣オーストラリア軍についての四方山話②

2021 年に日本国内でもロンタンの闘いを描いた戦争映画『デンジャー・クロース 極限着弾』が公開されました。現地のリエナクターや当時のベテランも作品に参加、当時の戦況を分かりやすく描写しつつも、劇映画としても楽しめる内容となっています。
気になる戦闘服や装備品については、レプリカも使用されているようですが、設定であるところの 1966 年を再現すべく、なかなか見どころの多い表現が為されています。
戦争映画なので、残念ながら日本語字幕に関しては省略や間違いが見受けられます。 情報量の多い日本語吹き替え版で観賞すると、より作品の内容が楽しめると思います。
日本国内のインターネットオークション等で流通している、いわゆる「ナム戦オーストラリア軍装備」は、1980 年代の同型品が多いようです。残念ながら識別点が分かりにくいので、日本国内のみならず海外でも「ナム戦当時モノ」として流通しているのが現状です。
オーストラリア M1956 装備は、ベトナムから撤退後も若干の仕様変更を行いつつ使用されていたので、程度が良い状態のモノは少なくなっています。
残念ながらアメリカ軍 M1956 装備のようにリプロが販売されることは恐らくないでしょう。
個人的には、先ずは戦後同型品を足掛かりにして装備を組んで、ヒストリカルゲームイベントに参加してみるのは悪くないと思います。
自分も初めて参加したアホカリ VN は全て1980年代の同型品からスタートしました。
現在ならば遠回りすることなく、もっと再現度の高い装備が集められるのではないかな?と思います。
先ずは参加して、他の参加者の装備や被服を見せてもらったり、分からないことは臆せず質問すれば、100%ではないですが何らかの回答があるはずです。
一番怖いのは「分かったつもり」になって、完全に間違えたままで続けてしまうことです。 そんなわけで、ベトナム派遣オーストラリア軍について少しでも興味があった場合は、恐れることなくイベントで声をかけてみてください。

出典:Australian War Memorial
Battle of Long Khánh  

2023年04月28日

ベトナム派遣オーストラリア軍について①


~オーストラリア陸軍 第3歩兵大隊 第1次ベトナム派遣~


東南アジア条約機構(SEATO)の主要構成国であるオーストラリアは、1962年より軍事顧問団のベトナムへの派遣を開始しました。
1965年からは大規模な兵力の派遣を行っています。
ここではオーストラリア陸軍 第3歩兵大隊(3rd Battalion, The Royal Australian Regiment以下3RAR)の第1次ベトナム派遣(1st Tour)について簡単に説明してみます。
3RARの第1次派遣は1967年末から1968年末までの1年間に渉り、フォクトゥイ省ヌイ・ダットに駐屯を開始。
1968年のテト攻勢ではアメリカ空軍ビエンホア空軍基地に対して増援部隊を送っています。
3RARはその後も複数の作戦に参加し、地雷除去、対迫撃砲戦闘や偵察任務に従事しました。
1968年末、3RARは第9歩兵大隊(9RAR)と任務を交代、祖国へと帰還しました。
第1次ベトナム派遣では3RARは24名の死亡者、93名の負傷者を生じています。
彼らは連隊共通のモットーである”Duty First”、最高の職務を果たしたと言えるでしょう。

オーストラリア陸軍M1956歩兵戦闘装備について


1960年代初頭、M1956歩兵戦闘装備を着用している1RAR(第1歩兵大隊)の某大尉。
オーストラリア陸軍は英連邦諸国が採用していたP1937歩兵戦闘装備を1960年代まで使用していました。
しかし、理想的とは呼べないP1937歩兵戦闘装備に代わり、アメリカ陸軍のM1956歩兵戦闘装備を採用しました。
同盟国であるアメリカと歩兵戦闘装備を共通することにより、補給面での簡素化も図られています。
形状や素材はアメリカ陸軍の仕様とは変わりませんが、オーストラリア陸軍向けのM1956歩兵戦闘装備は、USの代わりにD↑D※のスタンプが施されています。※DD(Department of Defence/国防総省の意)
バヨネットフロッグ(銃剣吊り)に関しては、オーストラリア陸軍での小銃用銃剣L1A2用に新規に生産されています。
M1956歩兵戦闘装備に装着出来るよう、ワイヤーフックが追加されています。
イギリス陸軍P1958歩兵戦闘装備について
イギリスで導入されたP1958歩兵戦闘装備はオーストラリア陸軍では採用しておりません。
しかしながら1967年に1名の使用者(2RARの某少尉)の画像が残っていますが、氏がどのような経緯で入手したのかは残念ながら不明です。又、洋書では同装備を特殊部隊が着用しているイラストがありますが、こちらも出典は不明です。
後述しますが、P1937ベーシックポーチ/ラージをP1958キドニーポーチと誤認している方もいらっしゃるようです。
M1956歩兵戦闘装備の欠点とその現地改善
非常に先進的なM1956歩兵戦闘装備ではありますが、戦地で使用されるうちに欠点も見られるようになりました。

マガジンポーチはL1A1の弾倉を各2本が収納可能ではありましたが、より容量の多いP1937ベーシックポーチ/ラージ※を代替使用する兵士が少なからず現れました。画像の兵士の右腰に縛着されているのがP1937ベーシックポーチ/ラージです。7.62×51mm弾が100発程度は収納可能です。
※オーストラリア陸軍がかつて採用していた大型汎用ポーチ

シュラフ/寝具はクイックリリース可能なウェブストラップでサスペンダーに固定するようになっていましたが、密林内での携行性は悪く、また木の枝などでズタズタになってしまいました。
兵士たちはP1937ハーバーサック/ラージパックで携行するようになりましたが、拡張性の低い同パックはクイックリリース機能もなく、容量も余り多くありませんでした。
堅牢なM1956歩兵戦闘装備ではありましたが、過酷な戦場での消耗も著しく、前述の通りに代替装備(P1937やP1944)を使用する兵士たちも多く現れています。
マガジンポーチに付属している手榴弾携行用ストラップは信頼性が低く、専ら麻製のトグルロープ等の固定に使われています。
予備弾薬に関してはバンダリアで携行し、手榴弾はポーチ内に収納するよう励行されていたようです。
分隊支援火器の弾薬携行方法


分隊支援火器であるM60GPMGの弾薬携行手段として、エアマットレスを分解してカバーにするユニークな方法(兵士たちはBlow upと呼称)がとられました。
画像の兵士がたすき掛けしている黒っぽい物体がエアマットレスを分解したカバーです。重い弾薬箱を使用することなく、かつ弾薬を濡らすことなく携行する方法です。ベトナムに派遣された他国の軍隊でも同様の方法での携行は見られません。

ベトナム派遣オーストラリア軍についての四方山話

装備被服は同時代のアメリカ陸軍装備と比べて、入手することが困難になりました。
オーストラリア本国内でも消費されてしまった感もあります。
しかし、最近は映画用のレプリカ戦闘服等も製作されるようになりました。
日本国内では他国に比べてM1956装備の入手については比較的に容易です。
今回の展示品のような装備を再現することは不可能ではありません。
ベトナム派遣時のオーストラリア軍については、残念ながら邦訳された解説本などは殆どありません。
しかし資料が全く存在していない訳ではありません。
検索すれば画像は湯水の如く現れますし、情報開示された資料も当時のニュース映画も閲覧可能です。
各大隊別の写真集も販売されています。
当時の従軍者もご高齢でありますがSNSに勤しんでいます。
稀にコミュニティで昔話に花を咲かせる場合もあります。
そんなわけで、資料もモノも無い、なんて状況ではありません。
自分も、途中で何度か放置していた時期もありました。
でも、きちんと下調べしながら集めていれば、彼の国の方から「我が国でもここまでやっている人は少ないよ」なんて誉め言葉(リップサービスでしょうが)を貰えるまでになれるようにはなりました。
全ての軍装収集趣味について言えるのでしょうが、自分が着用している被服や装備が持つ意味を理解する必要がある、そんな気持ちがあれば、あまりにも適当な格好は出来ませんよね。
もしもベトナムに派遣されたオーストラリア軍について少しでも興味があった場合は、恐れることなくイベントで声をかけてみてください。

出典:Australian War Memorial