2023年05月03日

『デンジャー・クロース 極限着弾』を考察する12 ジャクソン准将について。


1ATF(1st Australian Task Force)第1オーストラリア統合任務部隊の初代司令官、オリバー・デイビッド・ジャクソン准将。
史実でのジャクソン准将の軍歴。
ダントルーン王立陸軍士官学校を卒業。1939年、第二次世界大戦勃発に伴い中東とニューギニアで勤務。
その後、朝鮮動乱では1RAR大隊長となります。
その後1965年には、オーストラリア陸軍訓練チームベトナム(AATTV)と在ベトナムオーストラリア軍(AAFV)を指揮。1966年に第1オーストラリア統合任務部隊(1ATF)初代司令官となりました。
と、立派な戦歴の持ち主であります。
執務室でふんぞりかえっているだけの人物ではありません。

劇中でハリー・スミス少佐がジャクソン准将の執務室での会話(脚本版)をザックリと紹介します…

准将 ハリー、用件はなんだ
少佐
私は軍人です
父も軍人でした
少佐
とても誇れる職業で―神聖です
少佐
私には指揮すべき部隊がありますが―私はここにいます
※新兵だらけの部隊を揶揄しています
少佐
まるで赤ん坊のお守のような任務です 私の経験と能力が無駄になっています
少佐
私にはふさわしい場所があるはずです
准将
君は元は徴集兵だったな?
少佐
そうですが職業軍人として改めて志願しました
准将

ダントルーン士官学校卒業かね?
※名門士官学校。通常は4年間で卒業となる。
少佐

ポートシー士官候補生学校卒業です
※短期士官養成学校。6ヶ月で卒業となる。
准将
ダントルーン志望では?
少佐
ダントルーンへ入るには学位も学費も足りませんでした
※ポートシーは学位不要。
准将
それでも 君は転属する権利があると考えている
准将
他にいい部隊があるのかね?
少佐
悪く思わないでください
准将
転属希望はどこだ?
少佐
コマンドーです
准将
古巣に戻るのか?
少佐
私の実力を理解し―正当に評価できる指揮官のもとです
准将
タウンゼンド中佐と違ってかね?
准将
中佐が嫌いか?
准将
よく聞きたまえ
准将
彼は大隊長であり貴官はその命令に従う
准将
彼が私に従うようにな
准将
分かってるだろうがそれが軍隊だ
准将
話は終わりだ

作品冒頭でハリー・スミス少佐が書いていたのは転属願いだったのが分かりますね。
ちらっとコマンドーのベレーも映っていました。
少佐は1955年から1957年までの2年間、2RAR(第2歩兵大隊)C中隊9小隊長として勤務していました。
そんなわけで戦場での経験も長く、少佐の甘い考えも完全にお見通しであるジャクソン准将。
大局的な物事の見方が出来る人物です。
物語の後半、D中隊の救援として虎の子であるAPC部隊を差し向ける際に、タウンゼント中佐と作戦方針についての会話があります。



…この辺りの流れを完全に読み違えている人がいます…実際のところ、1ATFに対して解放戦線D445(445大隊)が突入を意図していたと戦闘後の捕虜から証言も得ています。

↑図のD445の機動に注目。しかしD中隊を包囲するように後退したところ、APC部隊による攻撃を受けています。

「保身の為功績の為に行動する上役の為に現場が混乱するというのは多々あるのですが、戦時では大きな悲劇になります。その不条理に涙しました。 」公式サイトにはこんなコメントがありました。
映画はエンターテインメントなので、描写の全てが史実でなくてはならない、とまでは思いません。
史実だけ知りたいのなら、ドキュメンタリーを見るか戦闘詳報でも読めば良いんです。
ただし、作品の本質を完全に読み違えてはいけません。

劇中では、一兵卒から最高指揮官までが様々な判断を求められています。
ジャクソン准将とタウンゼント中佐の判断も、あの闘いでは正しい方を選択したと言えるでしょう。もちろん、スミス少佐の判断も。

出典:「デンジャー・クロース 極限着弾」公式サイト  

2023年05月02日

ベトナム派遣オーストラリア軍について②


~オーストラリア陸軍 第3歩兵大隊 第2次ベトナム派遣~

東南アジア条約機構(SEATO)の主要構成国であるオーストラリアは、1962 年より軍事顧問団のベトナムへの派遣を開始しました。
1965 年からは大規模な兵力の派遣を行っています。
ここではオーストラリア陸軍 第3歩兵大隊 (3rd Battalion, The Royal AustralianRegiment)の第 2 次ベトナム派遣(2nd Tour)について簡単に説明してみます。
1970 年、ニクソン大統領によるベトナミゼーションが開始され、アメリカ軍とオーストラリアを含む同盟国軍も段階的な撤退を開始していました。
第3歩兵大隊の第 2 次派遣は 1971 年 2 月から同年 10 月までの 8 ヶ月間、再びフォクトゥイ省ヌイ・ダットに駐屯を開始。
共産軍は戦力が減少した隙に乗じて、支配地域の拡大を図って戦闘は一部で激化。
第3歩兵大隊もロンカンの戦いと呼ばれる大規模掃討作戦に従事しました。

第3歩兵大隊B中隊5小隊の集合写真。
ロンカンの戦い

1971 年 6 月 6 日に実行された『オーバーロード作戦』に呼応して、第1オーストラリア統合任務部隊(1ATF)は、ロンカン省に存在している
南ベトナム解放民族戦線(NLF)D445 機動大隊及びベトナム人民軍第33連隊のベースキャンプを撃滅すべく、大規模掃討作戦を実行しました。
センチュリオン戦車を含む機甲部隊、砲兵部隊による支援砲撃も行われ、第3歩兵大隊とニュージーランド兵を含めた第4歩兵大隊による侵攻が開始されました。
しかし、事前に大規模作戦の予兆を感じていた D445 と33連隊による徹底的な防御戦闘と、巧みに配置された阻止陣地の頑強な抵抗を受け、侵攻は停滞していきました。
オーストラリア歩兵部隊への弾薬補給に投入されたヘリコプターも、北側に撃墜されるほどの激しい戦闘が続き、やがてセンチュリオン戦車の突入により北側の陣地も次々に陥落。 ロンカン省の共産軍ベースキャンプ掃討作戦は当初の目標を達成しました。
しかし D445 大隊と第33連隊の兵士は人員の大半が戦闘地帯からの脱出に成功しています。
1971 年10月6日、最後の第3歩兵大隊兵士が同地より離れ、祖国へと帰還しました。

M1956 歩兵戦闘装備の改善要求

オーストラリア軍は、アメリカ陸軍の M1956 歩兵戦闘装備を採用していました。当時の水準として先進的な M1956 歩兵戦闘装備ではありますが、戦地で使用されるうちに欠点も見られるようになりました。
マガジンポーチは L1A1 弾倉を各 2 本のみ収納可能、シュラフ/寝具はクイックリリース可能なウェブストラップでサスペンダーに固定するようになっていましたが、密林内での携行性は悪く、また木の枝などでズタズタになってしまいました。 堅牢な M1956 歩兵戦闘装備ではありましたが、過酷な戦場での消耗も著しく、前線の兵士たちからの改善を求める声が多数あがったと考えています。

オーストラリア M1956 歩兵戦闘装備について





前線の兵士たちからの改善要求に対して開発されたのが、オーストラリアが自国製造したM1956 歩兵戦闘装備です。マガジンポーチは L1A1 弾倉を最大で 4 本収納可能、これまで使用されていた P37 ラージパックに代わる新型ラージパック、ワイヤーフックと ALICE クリップを備えた水筒、新素材を使用した H 型サスペンダー、容量の増えたキドニーポーチが開発されました。


マガジンポーチは大型化され弾倉の収納数は増えましたが、引き続きポーチ内には手榴弾を収納し予備弾薬クリップはバンダリアで携行せよ、と統制された部隊もあったようです。



新型ラージパックは上下 2 層に分かれており、上層には携帯口糧等を、下層には寝具を収納する構造になっています。ショルダーストラップはクイックリリース機能が備えられています。
水筒は 2 通りの装備ベルトへの縛着方法が選択可能ですが、ワイヤーフックは引っ掛かりやすく専ら ALICE クリップでの使用が好まれていたようです。
ベトナム派遣オーストラリア軍の新型戦闘服





これまで使用されていたジャングルグリーンシャツとクロスオーバーベルト型のトラウザースに代わり、より実戦向けの戦闘服も導入されました。Pixi シャツと呼ばれるジャングルグリーンシャツとトラウザースが正式導入された時期は、残念ながら分かっていません。Pixi シャツは胸ポケットが大型化され、両上腕部にはポケットが追加され個人用包帯等が携帯できます。又、着丈も短いのでシャツをトラウザースに託しこまずに着用することができます。

1枚襟で袖部分に補強がある1型、2枚襟で袖部分の補強が省略された2型、2型とほぼ形状も同一なるも生地が薄手の木綿になった3型を確認しています。


トラウザースの大腿部正面には大型ポケットがありますが尻部ポケットはオミットされました。腰にはアジャスターが付いています。トラウザースに関してもポケットの仕様に差異が複数あるようですが、これらは製造メーカーによる仕様違いなのか分かっていません。
ベトナム派遣オーストラリア軍についての四方山話②

2021 年に日本国内でもロンタンの闘いを描いた戦争映画『デンジャー・クロース 極限着弾』が公開されました。現地のリエナクターや当時のベテランも作品に参加、当時の戦況を分かりやすく描写しつつも、劇映画としても楽しめる内容となっています。
気になる戦闘服や装備品については、レプリカも使用されているようですが、設定であるところの 1966 年を再現すべく、なかなか見どころの多い表現が為されています。
戦争映画なので、残念ながら日本語字幕に関しては省略や間違いが見受けられます。 情報量の多い日本語吹き替え版で観賞すると、より作品の内容が楽しめると思います。
日本国内のインターネットオークション等で流通している、いわゆる「ナム戦オーストラリア軍装備」は、1980 年代の同型品が多いようです。残念ながら識別点が分かりにくいので、日本国内のみならず海外でも「ナム戦当時モノ」として流通しているのが現状です。
オーストラリア M1956 装備は、ベトナムから撤退後も若干の仕様変更を行いつつ使用されていたので、程度が良い状態のモノは少なくなっています。
残念ながらアメリカ軍 M1956 装備のようにリプロが販売されることは恐らくないでしょう。
個人的には、先ずは戦後同型品を足掛かりにして装備を組んで、ヒストリカルゲームイベントに参加してみるのは悪くないと思います。
自分も初めて参加したアホカリ VN は全て1980年代の同型品からスタートしました。
現在ならば遠回りすることなく、もっと再現度の高い装備が集められるのではないかな?と思います。
先ずは参加して、他の参加者の装備や被服を見せてもらったり、分からないことは臆せず質問すれば、100%ではないですが何らかの回答があるはずです。
一番怖いのは「分かったつもり」になって、完全に間違えたままで続けてしまうことです。 そんなわけで、ベトナム派遣オーストラリア軍について少しでも興味があった場合は、恐れることなくイベントで声をかけてみてください。

出典:Australian War Memorial
Battle of Long Khánh