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Posted by ミリタリーブログ at

2021年10月29日

ベトナム派遣オーストラリアSAS装備を考察してみる…


オーストラリアSAS 2Sq F中隊所属のDonald Barnby(ドナルド・バーンビー)隊員。
オーストラリア軍事博物館(AWM)に当時の装備品の一部を寄贈されています。
今回はその寄贈品を基に装備品を考察してみようかと思います。



画像後列の左側から2人目(M16A1/XM148を構えています)がバーンビー氏。哨戒任務を終えて他の隊員たちと記念撮影。

こちらはAWMに所蔵されているベルトキット。
一際目を引くのはヨーク(サスペンダー)に取り付けられたグレネードポウチでしょうか。これはアメリカ軍のグレネーダーベストとか取り外されたものを固定しているようです。記念撮影時にはグレネードポウチ左側下にXM166ミニスモークを2つ縛着しているようです。

ベルトに左右に装備されているのは、P44アーマーライトポウチでしょうか…所蔵品の生地の風合いを見ると同形状のローカルメイドのように見えます。

左腰にあたる部分に提げられているのは、恐らくエスケープ・ポウチ。オーストラリアが製造した"ラージパック"のポケットを切り抜いて製作される場合もあります。


右腰にはP44水筒ですね。P44水筒は金属製キャップのタイプもありますが、開栓時に擦過音がするなんて樹脂製キャップが好まれたとか?
P44水筒カバー内のポケットには浄水剤が収納可能です。個人的にもP44水筒は使い勝手がよくて、気に入っています。
よくある間違いですが、オーストラリア軍はイギリス連邦で使用していた58 PATTERN WEBBING(P58装備)を採用していません。
「アメリカM1956装備とイギリスP58装備を組み合わせればSAS装備!」にはなりません。
この当たりを注意して、またアメリカの特殊部隊装備にもアンテナを張りつつ画像を解析してから集めてみると、変に回り道をしないで済みます。
あとは、興味があったらイベントなんかでオーストラリア軍装備のグループに尋ねてみるのが最適解、ですね。

参考
https://australiansatwarfilmarchive.unsw.edu.au/archive/618-donald-barnby
https://www.awm.gov.au/advanced-search?query=Special%20Air%20Service&collection=true&facet_type=Heraldry&facet_related_conflict_sort=15%3AVietnam%2C%201962-1975
https://www.lifeonthelinepodcast.com/podcast/2018/4/3/18-don-barnby-vol-i?rq=Don%20Barnby  

2021年10月29日

ベトナム派遣オーストラリアSASは1名の戦死者もいなかったのか?


オーストラリアSAS/3Sqのヴァン・ドロッフェラー軍曹。
Military medal授与時のポートレートでしょうか。SASベレーの汗取りに注目なのかもしれない…
さて、ベトナムでのオーストラリアSASについては、あまり日本語で紹介されていないように思われています。

先の記事で紹介した、オーストラリアSASジョン・オキーフ軍曹と隊員たち。
ERDLパターンTCU、ベルトキットにはSASポウチと呼ばれていたP44アムニッションポウチに"見える"装備を縛着しています。
日本国内では現在もERDL(グリーンリーフ)の入手も容易く、またL1A1エアソフトガンもリニューアル版が発売され、人気のある特殊部隊であるオーストラリアSAS装備を組んでみよう!と活動されている方々もいらっしゃいます。格好いいもんね。

ベトナム解放戦線からは「密林の幽霊」と畏れられたオーストラリアSASは、ベトナム戦争中は1人も死者を出さなかった…
なんて記述もあるようです。

以下は、ベトナムで共同して作戦にあたっていたオーストラリアSASとニュージーランドSAS、約580名に対する死傷者数の内訳です。
戦闘中死亡 1名
負傷による死亡 1名
偶発事故による死亡 2名
ヘリコプターから転落後行方不明 1名 ※最近になって遺骨が発見されたような…
病死 1名
重傷者 28名
最初に紹介したヴァン・ドロッフェラー軍曹の戦闘報告に関しては、「特殊部隊全史」で邦訳されています。
また、「1人の戦死者も…」に関しても同書に記述があったように思います。だいぶ前に読んだから忘れちゃった…

そんなわけで、「本で読んだから」「◯◯さんが描いてたから」「資料がない」で終わらせずに、あれこれを探してみたり読んだりするのも面白いかもしれませんね。

参考
https://www.awm.gov.au/collection/C62179
SAS大事典
特殊部隊全史  

2021年10月28日

ベトナム派遣オーストラリアSAS「密林内で行動しやすくするためにショートバレル化したのか?」


第1オーストラリア統合任務部隊基地に帰投したオーストラリアSASジョン・オキーフ軍曹(画像中央)。
哨戒任務を終えた隊員たちの姿を動画撮影中と思われます。

Australian Special Air Service (SAS) Vietnam
オーストラリアSASの哨戒任務状況を再現した当時のニュース映画です。
シングルポイントサイトとXM148を装備したM16A1や、隊員達のハンドシグナルなども含めて見どころ満載の動画です。
再現動画ではありますが、SASの哨戒任務を端的に表しています。※哨戒時の行軍スピードに注意。静粛性を厳に行動しています。

哨戒地域に向かうSAS隊員達。画像中央にはXM148を装備したM16A1が見えますが、その奥のSLR(L1A1)に注目。

フラッシュハイダーが削除されています。

こちらの画像が分かりやすいでしょうか。
「ジャングルで行動しやすくするため銃身長を短くした」わけではありません。
本来の機能を排除して、発砲音を増大(50口径を思わせる爆音だったとか)させて、相手を誤認させる目的だったようです。
SLRのフラッシュハイダーは、バードゲージ型なので引っ掛かりやすいわけではありません。
あくまでも個人的な感想でしかありませんが、いわゆるエアソフトゲームでSLRを使用していて「長すぎる」と感じたことはありません。
基本的に、どのエアソフトガンからも同じような飛距離に設定されているエアソフトガンの場合は、短い方が良いのかもしれませんね。

まあ、こんなカービンモデルもありますが。



こちらは「ワイルド・ギース」に登場したL1A1カービン。オフセットされたシングルポイントサイトとか超痺れる…!
参考
https://www.awm.gov.au/collection/C326988
http://www.imfdb.org/wiki/The_Wild_Geese#Custom_L1A1_Battle_Carbine  

2021年10月28日

ベトナム派遣オーストラリアSAS


第1オーストラリア統合任務部隊(1st ATF)が駐留していたヌイダット地区内のSASキャンプでの写真。かなり有名です。
ひときわ目を引くXM148を装備したSLRは、オーストラリアSASのアイコンかも?
かなり昔に読んだ本では「FALをフルオート射撃可能に改造し、20連マガジンを溶接して30連マガジンに…」なんて書かれてました。
そもそもFALはフルオート射撃が可能ですし、オーストラリアはFALを採用していません。
特徴的なタンジェントサイトから見てL2A1でしょうか。

オーストラリアはカナダと共同開発したL2A1(通称AR)分隊支援火器が配備されていました。
連続射撃に耐えうるヘビーバレル、ハンドガード兼用バイポットやタンジェントサイトが備えられています。
しかし、素早い銃身交換は出来ない、銃床のデザインが悪くフルオート射撃には向かない、
またヘビーバレルによって重心位置のバランスが悪いなど、当時の兵士たちからの評価は低いようです。
※実際に射撃訓練を受けたベテランさん曰く「単射ではよく当たる」なんて評価でした。
そんな事情もあってか、ベトナムでのL2A1の使用は限定的な感があります。
分隊支援火器はM60GPMGがありましたし。
※ベトナムにはL4A1やFM-MAGは持ち込んでいないようです。


L2A1には30連マガジンがありますので、わざわざ溶接して自作する必要もありません。
しかし、20+20=30て計算がおかしいような…
ブレン軽機関銃の近代化仕様であるL4シリーズはL1A1とマガジンが共用化されています。
L1A1の装弾数を20連から30連に増やすことが可能ですが、L4マガジンのマガジンスプリングのテンションを上げる必要があります。

次は
「少人数で行動するSASは火力が全てなのか?」
「密林内で行動しやすくするためにショートバレル化したのか?」
この辺についてでも書いてみようと思います。

参考
https://www.awm.gov.au/advanced-search?query=Special+Air+service+vietnam+weapon&collection=true&facet_type=Photograph
  

2021年10月27日

アイボリーコースト作戦とソビエト軍事顧問





いわゆる"ソンタイ・レイダース"の面々。
サスペンダーに取り付けられているAN/PRT-4とAN/PRR-9が格好いいですなぁ…この時代のアメリカ軍装備関係は全部処分しましたが、もったいなかったかなぁ…

でも特省対応のAN/PRT-4とか買っちゃった…

さて、ソンタイ捕虜収容所奇襲作戦(アイボリーコースト作戦)について。
少し古い情報では
「捕虜収容所に隣接していた北ヴェトナム通信学校のソ連軍人と、北ヴェトナム兵、そして収容所の警備兵を全滅させた」なんて書かれています。
しかし、作戦に参加しDistinguished Service Cross(殊勲十字章)を授与されたテリーL.バックラー軍曹を含む隊員たちは、相手の国籍までを確認はしていません。
また、本作戦前にMACVーSOGによって行われた偵察作戦では、中国人(戦術?)教官の存在は確認されたようですが。
この辺りは正直なところ、中国側の資料を丹念に探せば真相は出てくるかもしれません。
普通に考えてみると、アメリカ軍による正式な作戦によってソビエト軍人を死亡させたとなると…国際問題になります。
まあ、若い世代の方々はきちんと下調べている場合が多いので、この手の古臭いネタには引っ掛からないと思います。

アリボリーコースト作戦についてはWikipediaに詳しく書かれています。
もちろん、ベトナム語版のWikipediaもあります。
視点が異なり、かなり読み応えがありますのでお奨めです。
特にベトナムからみた作戦失敗に至った経緯と被害報告など…
かなり衝撃的な内容ですが、こちらも真偽を調べてみるのも一考かも。

参考:
Operation Ivory Coast
Feature: Son Tay - A Story of Success
  

Posted by Контакт!! at 18:45Comments(0)ソビエトベトナム戦争

2021年10月26日

ベトナム戦争と海軍スペツナズ


年代不明ですがソビエト海軍のコンバットスイマー(ПДСС)でしょうか。
さて、ベトナムに派遣されたソビエト特殊任務部隊の話の続き。

ジャングルや河川における豊富なゲリラ戦経験や専用の訓練施設を有していたのにも関わらず、残念ながらベトナム人民軍には潜水技術や水中破壊工作を統合的に訓練された人材はいませんでした。

そこで、ソビエト海軍太平洋艦隊や、予備役から経験豊富な専門家がベトナムに派遣され、ベトナム人民軍兵士の練度を高めるべく訓練を行いました。
※具体的な派遣時期は調べきれていません。1961年以降ではあります。
~アメリカ海軍護衛空母USSカード撃沈~

ボーグ級護衛空母USSカード(CVE-11)

1964年5月2日午前3時、サイゴン港湾施設に係留されていたアメリカ海軍空母USSカードは、ラム・ソン・ナオ率いる解放戦線第65特殊作戦分遣隊により、周到に仕掛けられた爆薬で大破着底させられた。

被害を受けたUSSカード。作戦に使用されたのは80kgのTNTと4㎏のC4爆薬。港湾作業に従事するベトナム人達がいない時間帯を選択して実行したとも語られています。

ソビエト海軍顧問団による指導の賜物、とは一概には言えませんが何らかの影響はあったんでしょうか。
さて、長期に渡りアメリカ軍と戦闘を続けたベトナムは、世界でも類い稀な戦闘知識を得ました。

~ベトナム戦争終結後~
ソビエト特殊任務部隊ヴィンぺルの創設者となる、ユーリー・ドロズドフ少将はベトナムに派遣され、ベトナム人と共に更なる戦技を磨くことになります。
「ハノイ近郊で我々はベトナム特殊部隊(ダッコン)からジャングル内での戦闘や無音浸透技術、アメリカの武器についてを学んだ。我々は最新装備による都市部での活用方法を共有した。彼らから学ぶべきことは非常に多かった。」
地上戦闘や空中戦にスポットが当たるベトナム戦争ですが、水中での闘いに関しても、実は興味深いですね。

参照:Группа советских военных специалистов во Вьетнаме

https://baodansinh.vn/ky-uc-hao-hung-cua-nguoi-chien-si-biet-dong-sai-gon--gia-dinh-7110.htm  

Posted by Контакт!! at 21:53Comments(0)ソビエトベトナム戦争

2021年10月26日

ベトナム戦争とドラグノフ狙撃ライフル


有名な写真。しかし、後方の戦車から見ても、いわゆるベトナム戦争時ではないのでは…?画角も良いので演習中ではないでしょうか。

「トゥイフォア(ベトナム南中部の都市)解放の為に闘った兵士の狙撃銃」と画像解説されています。
とても実戦で使用していたとは思えないほど綺麗…

こちらは現在のベトナム軍事博物館にて所蔵されている「ベトナム戦争時での狙撃銃」とか。
中央のライフルはM1917エンフィールド?フランス軍が残置した個体なんでしょうか。

果たして、ソビエトは当時の北ベトナムにドラグノフを供与したんでしょうか…
先のブログ記事でも紹介しましたが、「最新鋭狙撃銃を持って戦闘参加したソビエト特殊部隊」の存在は明確に否定されています。
では、何でこんな話が出てきたんだろ、と思って検索してみました。
「アメリカ軍が発行した鹵獲品リストに記載されている」とか。
その書類を見てみましたが
「トカレフ SVT-40」ときちんと書いてありました…
うーん、アメリカの人でも英語は読めないのかしら。

ベトナム戦争中、ソビエト領内で北ベトナム軍人は様々な軍事訓練を受けています。ひょっとしたらドラグノフも寄贈されたのかもしれません。
しかし、実戦配備するほどではなかったでしょうね。
そんなわけで、「ベトナム戦争をイメージしたエアソフトゲームイベント」でドラグノフ狙撃ライフルを持ち込むと、
三毛猫の雄ぐらいの希少な生き物として扱われるんじゃないでしょうか…
まあ、ほとんどのイベントでは使用禁止になっているようですが。

参照:https://m.kienthuc.net.vn/quan-su-viet-nam/dragunov-svd-sat-thu-ban-tia-dang-so-cua-viet-nam-666196.html#p-1  

Posted by Контакт!! at 07:51Comments(0)ソビエトベトナム戦争

2021年10月24日

第2回アフガン198X動画

https://m.youtube.com/watch?v=M2IYVtyWcXk
こんな状況になってたんですな…
第2回アフガン198Xの動画です。

  

2021年10月22日

ベトナム戦争とスペツナズ


高温多湿の環境であるベトナムでの生活は、ソビエトから来た人間にとっては厳しかったようです。
前回の記事に書いた「ベトナム戦争でのソビエト特殊任務部隊」について。
「ランボー2や軍事スリラー小説で描かれている、ソビエト人狙撃手や空挺軍による特殊作戦は行われていたのか?」
いわゆるスペツナズが南ベトナムで実戦参加していたのでしょうか?

種明かしにはなりますが、ベトナム派遣ソビエト顧問団戦友会は正式に否定しています。
「日本とフランス、そしてアメリカと25年以上にわたり闘い続けているベトナム人に対して、ジャングルでの戦闘やコマンドサンボを教育する必要があるか?」
ただし、戦略爆撃機B-52の情報提供といったマクロな視点での協力体制は非常に緊密な関係を築いていました。
B-52がどの基地から何時に離陸したか、飛行隊の編成と侵入する方角といった具体的な内容はベトナム防空部隊に対して迅速に伝えられています。

ソビエト軍人が非正規であろうとも、ベトナム領内で戦闘行動を行い、それらが発覚した場合の影響は非常に大きいです。これらについては顧問団はもとより、政府の上層部は非常にセンシティブに考えられています。そのような状況が暴露された場合、国家として立場を危うくするリスクは回避されていました。
軍事顧問団は護身用であろうとも、携帯火器は支給されませんでした。もちろん、ベトナム領内で護身しなければならないような状況にはなりませんでしたが。

かつて、ソンタイ捕虜収容所襲撃作戦「アイボリー・コースト」において、ソビエト軍事顧問を殺害したという記述がありました。
これに関しては、作戦に参加したアメリカ軍特殊部隊員は、このような供述はしていません。
第三者による付随情報ですな。

まあ、情報は後だしジャンケンみたいなものなので仕方ないですね…
ただし興味を持ったモノについては、常にアンテナを複数張り巡らす必要があるかもしれないです。

まあ、アクション映画やスリラーを完全否定するほど野暮ではありません。でも、それらを真実として受けとめてしまうのはダメです。

参照 https://ru.m.wikipedia.org/wiki/%D0%93%D1%80%D1%83%D0%BF%D0%BF%D0%B0_%D1%81%D0%BE%D0%B2%D0%B5%D1%82%D1%81%D0%BA%D0%B8%D1%85_%D0%B2%D0%BE%D0%B5%D0%BD%D0%BD%D1%8B%D1%85_%D1%81%D0%BF%D0%B5%D1%86%D0%B8%D0%B0%D0%BB%D0%B8%D1%81%D1%82%D0%BE%D0%B2_%D0%B2%D0%BE_%D0%92%D1%8C%D0%B5%D1%82%D0%BD%D0%B0%D0%BC%D0%B5  

Posted by Контакт!! at 20:16Comments(0)ソビエトベトナム戦争

2021年10月21日

アフガニスタン戦争のスティンガーミサイル



何らかの対空火器で撃墜されたMi-24戦闘ヘリコプター。

「ランボー3/怒りのアフガン」内容はあんまり覚えてないですな…最初は「ハイランダー 悪魔の戦士」のラッセル・マルケイが監督じゃなかったっけ…?

「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」けっこう変な映画を撮ってるマイク・ニコルズ監督作品。「サイクロン計画」の一端を分かりやすく描いている秀作です。

スティンガー地対空ミサイルとムジャヒディン達。
同ミサイルが登場するまではイギリス製ブローパイプミサイルが使用されていた。

さて、アクション映画やドラマでは「スティンガーがアフガン戦争を終わらせた!」ような描写が為されています。
では、実際はどうだったんでしょうか。

~アフガニスタン戦争のスティンガーミサイル~
1986年2月、様々な懸念材料はありましたが、アメリカはスティンガー発射システム240基とミサイル1000発をアフガニスタン反政府組織への供与を決めました。
同年9月、3機のMi-24戦闘ヘリコプターが撃墜されました。
これがスティンガーによる初戦果とも言われています。
アフガニスタン駐留ソ連軍(第40軍)は、新たな対策を図りました。
固定翼機は高度5000m(スティンガーの射程圏外)からの対地攻撃を行い、ヘリコプターは渓谷沿いを低空飛行するようになりました。スティンガーは機体の背後に空がないと命中精度が低下するからです。また、エンジン排気口は熱低減用フィルター、赤外線フレアを増設する等の改修も行っています。
加えて、スティンガーミサイルを滷獲する作戦も行われています。


諸説ありますが、ソ連軍特殊任務部隊は1987年1月にはスティンガーミサイルの滷獲には成功しているようです。
スティンガーはアメリカと険悪な関係であるイランにも流出。
1987年9月のイラン軍事パレードに登場してしまいました。
CIAは供与したスティンガーを膨大な価格で買い戻すことになりました…
スティンガーはソビエトがアフガニスタンから撤退するに当たり、大きな役割を努めた、と喧伝されています。
比較になりますが、アメリカがベトナム戦争中に喪失したヘリコプターは5086機とされています。
対してソビエトがアフガニスタンで喪失したのは、
固定翼機113機、ヘリコプター333機とも記録されています。
この数値には、スティンガー登場以前に撃破された数も含まれています。
果たして、スティンガーがアフガニスタンにもたらした恩恵は何だったんでしょう…やはり宣伝効果ですかね。
我が国でも導入されていますが、果たしてその実用性は…
それを証明することにならなきゃ良いですが
参考
白水社 アフガン侵攻1979−89 ソ連の軍事介入と撤退
  

Posted by Контакт!! at 22:22Comments(0)ソビエトアフガニスタン