2021年11月18日

Britische Freikorps(イギリス自由軍団)のお話

Britische Freikorps(イギリス自由軍団)のお話

随分と前に見た映画の画像ですが…原題『Joy Division/Vörös vihar』第二次世界大戦末期のドイツ領から物語は始まって、そこで主人公がイギリス自由軍団(BFC)の兵士と遭遇します。その後は…覚えてません…良い雰囲気の作品だったような。
さて、ベルリン戦のノルトラント師団について斜め読みしていた時に、BFCもいたんだっけ、と思って何となく眺めていたら興味深いBFC隊員に辿り着きました。
Britische Freikorps(イギリス自由軍団)のお話

トーマス・ハラー・クーパー(Thomas Haller Cooper 1919~1987?)
~トーマス・ハラー・クーパー前半生~
トーマスはイギリス人の父親アシュリーとドイツ人の母親マリアの間に産まれました。
1936年、名門校であるラティマー高等学校を卒業(退学とも)するも、母親がドイツ人であるという理由からか、自身が希望していたイギリス海軍と空軍、警視庁入りへの道を絶たれてしまいました。
Britische Freikorps(イギリス自由軍団)のお話

憤慨したトーマスはイギリスファシスト連合に入隊します。
※画像はイギリスファシスト連合(British Union of Fascists)。
Britische Freikorps(イギリス自由軍団)のお話

画像はReichsarbeitsdienst(ドイツ国家労働奉仕団)
~トーマス、ドイツに渡る~
その後、流暢なドイツ語話者であるトーマスはドイツに渡り、RAD(ドイツ国家労働奉仕団)事務所で職を得ることが出来ました。
しかし、第2次世界大戦勃発に伴い、1939年9月3日に敵性外国人としてドイツ当局に逮捕されてしまいます。
機転を働かせたトーマスは「自分の母親はドイツ人である。よって自分は民族ドイツ人である。」この願いは受け入れられ釈放されました。
しかし、すでに帰国も適わない状況であるトーマスに対し、ドイツ当局は親衛隊に入隊しないか?という誘いを与えます。
既に父親はイギリス軍に応召されているような自分を、果たして親衛隊は受け入れてくれるのか?
トーマスはドイツ人に対して問いましたが、親衛隊は志願入隊に関しては問題はない、と返答したようです。
1940年7月、トーマスは親衛隊髑髏部隊(SS-TV)第5大隊8中隊へ入隊します。
Britische Freikorps(イギリス自由軍団)のお話

親衛隊髑髏部隊(SS-TV)
~トーマス戦歴を重ねる~
トーマスは機関銃手としての訓練を受け、Rottenführer(親衛隊兵長)を経て、Unterscharführer(親衛隊伍長)に昇進しました。
Britische Freikorps(イギリス自由軍団)のお話

トーマスは第3SS装甲師団に配属されたのでは?と考えています。
1943年2月、トーマスは東部戦線(第3次ハリコフ攻防戦?)で両足に重傷を受けましたが、戦友に救出されて無事に後送されました。
Britische Freikorps(イギリス自由軍団)のお話

トーマスは戦傷章/銀を授与されます。これは第2次世界大戦時において、イギリス人がドイツ軍より勲章を授与された唯一の例となりました。トーマスはOberscharführer(親衛隊曹長)に昇進します。
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~トーマス、イギリス自由軍団に参画する~
トーマスは、遅々として進まないBritische Freikorps/British Free Corps(イギリス自由軍団)編制に向けて、格好の人材として親衛隊上層部の目にとまりました。
Britische Freikorps(イギリス自由軍団)のお話

トーマスは募兵活動拡大と訓練教官としてイギリス自由軍団に加わりましたが、1944年11月に部隊から追放されてしまいます…
Britische Freikorps(イギリス自由軍団)のお話

~トーマス、イギリス自由軍団から追放される~
追放理由は"ありとあらゆる反国家的犯罪者である"とされています。しかし、強烈な自殺願望の持ち主や詐欺師、およそ戦闘任務に就くことが出来ない志願者達を前に、東部戦線帰りのトーマス自身が完全に愛想を尽かしたんではないか?と想像しています。
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~トーマス終戦を迎える~
その後、トーマスは武装親衛隊装甲擲弾兵訓練大隊の教官を経てFeldjäger korps(フェルトイェーガー軍団)に配属されて終戦を迎えます。
※Feldjäger korpsは最低3年間の最前線勤務経験、2級鉄十字章の授与は必須であり、賞罰の有無に関しても非常に高い水準が求められます。よってトーマスには前述の賞罰や逮捕歴はないと考えています。
Britische Freikorps(イギリス自由軍団)のお話

トーマスが収監された際の写真です
~トーマス母国へ連行~
終戦を迎えたトーマスはイギリスに連行され、母国に対する大逆罪として裁かれ、1946年1月に絞首刑を宣告されます。しかし、処刑数日前に終身刑に減刑されました。そもそも"民族ドイツ人"であるトーマスをイギリス人として裁くのは正しいことなのか?と物議があったのかもしれません。終身刑の刑期は更に短縮され、1953年1月にトーマスは釈放されます。
Britische Freikorps(イギリス自由軍団)のお話

~トーマス来日~
釈放されたトーマスは日本に渡り、東京で語学教師として後半生を送ることになります。更に仏教徒となりました。
時期は不明ですが、再び本来の母国イギリスに戻り1987年(1990年代後半とも)に、その波乱の人生を終えたそうです。

今日、初めて知りましたが日本にイギリス自由軍団に関わった方が一時期でも存在していたのには驚きました…
しかし、まあトーマスの人生に多大な影響を与えた国家と戦争…
ホント、戦争なんか真っ平ゴメンですな。

参考
https://en.wikipedia.org/wiki/British_Free_Corps
https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Haller_Cooper




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Posted by Контакт!! at 20:27│Comments(2)ナチョス!
この記事へのコメント
イギリス自由軍団を知ったのは、ジャック・ヒギンズの鷲は舞い降りたにて。
あまり名誉な印象を持たれていない上に最悪の指示によりシュタイナーの指揮下に。
そんな部隊にもこんな勇者が居たのですね。
しかも戦後日本に滞在していたとは。
当時の生徒さん、まだお元気かもしれません。
とても勉強になりました。
Posted by 引退した人 at 2021年11月18日 21:36
いやはや、事実は小説よりも奇なりでした。
トーマス氏のアイデンティティが、果たしてイギリスとドイツのどちらかだったんでしょうね…
トーマス氏に関しては、もう少し詳しく記述された書籍もあるようなので、特に後半生を読んでみたいです。
Posted by Afghan1989Afghan1989 at 2021年11月19日 05:35
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