2023年05月03日

『デンジャー・クロース 極限着弾』を考察する12 ジャクソン准将について。


1ATF(1st Australian Task Force)第1オーストラリア統合任務部隊の初代司令官、オリバー・デイビッド・ジャクソン准将。
史実でのジャクソン准将の軍歴。
ダントルーン王立陸軍士官学校を卒業。1939年、第二次世界大戦勃発に伴い中東とニューギニアで勤務。
その後、朝鮮動乱では1RAR大隊長となります。
その後1965年には、オーストラリア陸軍訓練チームベトナム(AATTV)と在ベトナムオーストラリア軍(AAFV)を指揮。1966年に第1オーストラリア統合任務部隊(1ATF)初代司令官となりました。
と、立派な戦歴の持ち主であります。
執務室でふんぞりかえっているだけの人物ではありません。

劇中でハリー・スミス少佐がジャクソン准将の執務室での会話(脚本版)をザックリと紹介します…

准将 ハリー、用件はなんだ
少佐
私は軍人です
父も軍人でした
少佐
とても誇れる職業で―神聖です
少佐
私には指揮すべき部隊がありますが―私はここにいます
※新兵だらけの部隊を揶揄しています
少佐
まるで赤ん坊のお守のような任務です 私の経験と能力が無駄になっています
少佐
私にはふさわしい場所があるはずです
准将
君は元は徴集兵だったな?
少佐
そうですが職業軍人として改めて志願しました
准将

ダントルーン士官学校卒業かね?
※名門士官学校。通常は4年間で卒業となる。
少佐

ポートシー士官候補生学校卒業です
※短期士官養成学校。6ヶ月で卒業となる。
准将
ダントルーン志望では?
少佐
ダントルーンへ入るには学位も学費も足りませんでした
※ポートシーは学位不要。
准将
それでも 君は転属する権利があると考えている
准将
他にいい部隊があるのかね?
少佐
悪く思わないでください
准将
転属希望はどこだ?
少佐
コマンドーです
准将
古巣に戻るのか?
少佐
私の実力を理解し―正当に評価できる指揮官のもとです
准将
タウンゼンド中佐と違ってかね?
准将
中佐が嫌いか?
准将
よく聞きたまえ
准将
彼は大隊長であり貴官はその命令に従う
准将
彼が私に従うようにな
准将
分かってるだろうがそれが軍隊だ
准将
話は終わりだ

作品冒頭でハリー・スミス少佐が書いていたのは転属願いだったのが分かりますね。
ちらっとコマンドーのベレーも映っていました。
少佐は1955年から1957年までの2年間、2RAR(第2歩兵大隊)C中隊9小隊長として勤務していました。
そんなわけで戦場での経験も長く、少佐の甘い考えも完全にお見通しであるジャクソン准将。
大局的な物事の見方が出来る人物です。
物語の後半、D中隊の救援として虎の子であるAPC部隊を差し向ける際に、タウンゼント中佐と作戦方針についての会話があります。



…この辺りの流れを完全に読み違えている人がいます…実際のところ、1ATFに対して解放戦線D445(445大隊)が突入を意図していたと戦闘後の捕虜から証言も得ています。

↑図のD445の機動に注目。しかしD中隊を包囲するように後退したところ、APC部隊による攻撃を受けています。

「保身の為功績の為に行動する上役の為に現場が混乱するというのは多々あるのですが、戦時では大きな悲劇になります。その不条理に涙しました。 」公式サイトにはこんなコメントがありました。
映画はエンターテインメントなので、描写の全てが史実でなくてはならない、とまでは思いません。
史実だけ知りたいのなら、ドキュメンタリーを見るか戦闘詳報でも読めば良いんです。
ただし、作品の本質を完全に読み違えてはいけません。

劇中では、一兵卒から最高指揮官までが様々な判断を求められています。
ジャクソン准将とタウンゼント中佐の判断も、あの闘いでは正しい方を選択したと言えるでしょう。もちろん、スミス少佐の判断も。

出典:「デンジャー・クロース 極限着弾」公式サイト  

2023年04月28日

ベトナム派遣オーストラリア軍について①


~オーストラリア陸軍 第3歩兵大隊 第1次ベトナム派遣~


東南アジア条約機構(SEATO)の主要構成国であるオーストラリアは、1962年より軍事顧問団のベトナムへの派遣を開始しました。
1965年からは大規模な兵力の派遣を行っています。
ここではオーストラリア陸軍 第3歩兵大隊(3rd Battalion, The Royal Australian Regiment以下3RAR)の第1次ベトナム派遣(1st Tour)について簡単に説明してみます。
3RARの第1次派遣は1967年末から1968年末までの1年間に渉り、フォクトゥイ省ヌイ・ダットに駐屯を開始。
1968年のテト攻勢ではアメリカ空軍ビエンホア空軍基地に対して増援部隊を送っています。
3RARはその後も複数の作戦に参加し、地雷除去、対迫撃砲戦闘や偵察任務に従事しました。
1968年末、3RARは第9歩兵大隊(9RAR)と任務を交代、祖国へと帰還しました。
第1次ベトナム派遣では3RARは24名の死亡者、93名の負傷者を生じています。
彼らは連隊共通のモットーである”Duty First”、最高の職務を果たしたと言えるでしょう。

オーストラリア陸軍M1956歩兵戦闘装備について


1960年代初頭、M1956歩兵戦闘装備を着用している1RAR(第1歩兵大隊)の某大尉。
オーストラリア陸軍は英連邦諸国が採用していたP1937歩兵戦闘装備を1960年代まで使用していました。
しかし、理想的とは呼べないP1937歩兵戦闘装備に代わり、アメリカ陸軍のM1956歩兵戦闘装備を採用しました。
同盟国であるアメリカと歩兵戦闘装備を共通することにより、補給面での簡素化も図られています。
形状や素材はアメリカ陸軍の仕様とは変わりませんが、オーストラリア陸軍向けのM1956歩兵戦闘装備は、USの代わりにD↑D※のスタンプが施されています。※DD(Department of Defence/国防総省の意)
バヨネットフロッグ(銃剣吊り)に関しては、オーストラリア陸軍での小銃用銃剣L1A2用に新規に生産されています。
M1956歩兵戦闘装備に装着出来るよう、ワイヤーフックが追加されています。
イギリス陸軍P1958歩兵戦闘装備について
イギリスで導入されたP1958歩兵戦闘装備はオーストラリア陸軍では採用しておりません。
しかしながら1967年に1名の使用者(2RARの某少尉)の画像が残っていますが、氏がどのような経緯で入手したのかは残念ながら不明です。又、洋書では同装備を特殊部隊が着用しているイラストがありますが、こちらも出典は不明です。
後述しますが、P1937ベーシックポーチ/ラージをP1958キドニーポーチと誤認している方もいらっしゃるようです。
M1956歩兵戦闘装備の欠点とその現地改善
非常に先進的なM1956歩兵戦闘装備ではありますが、戦地で使用されるうちに欠点も見られるようになりました。

マガジンポーチはL1A1の弾倉を各2本が収納可能ではありましたが、より容量の多いP1937ベーシックポーチ/ラージ※を代替使用する兵士が少なからず現れました。画像の兵士の右腰に縛着されているのがP1937ベーシックポーチ/ラージです。7.62×51mm弾が100発程度は収納可能です。
※オーストラリア陸軍がかつて採用していた大型汎用ポーチ

シュラフ/寝具はクイックリリース可能なウェブストラップでサスペンダーに固定するようになっていましたが、密林内での携行性は悪く、また木の枝などでズタズタになってしまいました。
兵士たちはP1937ハーバーサック/ラージパックで携行するようになりましたが、拡張性の低い同パックはクイックリリース機能もなく、容量も余り多くありませんでした。
堅牢なM1956歩兵戦闘装備ではありましたが、過酷な戦場での消耗も著しく、前述の通りに代替装備(P1937やP1944)を使用する兵士たちも多く現れています。
マガジンポーチに付属している手榴弾携行用ストラップは信頼性が低く、専ら麻製のトグルロープ等の固定に使われています。
予備弾薬に関してはバンダリアで携行し、手榴弾はポーチ内に収納するよう励行されていたようです。
分隊支援火器の弾薬携行方法


分隊支援火器であるM60GPMGの弾薬携行手段として、エアマットレスを分解してカバーにするユニークな方法(兵士たちはBlow upと呼称)がとられました。
画像の兵士がたすき掛けしている黒っぽい物体がエアマットレスを分解したカバーです。重い弾薬箱を使用することなく、かつ弾薬を濡らすことなく携行する方法です。ベトナムに派遣された他国の軍隊でも同様の方法での携行は見られません。

ベトナム派遣オーストラリア軍についての四方山話

装備被服は同時代のアメリカ陸軍装備と比べて、入手することが困難になりました。
オーストラリア本国内でも消費されてしまった感もあります。
しかし、最近は映画用のレプリカ戦闘服等も製作されるようになりました。
日本国内では他国に比べてM1956装備の入手については比較的に容易です。
今回の展示品のような装備を再現することは不可能ではありません。
ベトナム派遣時のオーストラリア軍については、残念ながら邦訳された解説本などは殆どありません。
しかし資料が全く存在していない訳ではありません。
検索すれば画像は湯水の如く現れますし、情報開示された資料も当時のニュース映画も閲覧可能です。
各大隊別の写真集も販売されています。
当時の従軍者もご高齢でありますがSNSに勤しんでいます。
稀にコミュニティで昔話に花を咲かせる場合もあります。
そんなわけで、資料もモノも無い、なんて状況ではありません。
自分も、途中で何度か放置していた時期もありました。
でも、きちんと下調べしながら集めていれば、彼の国の方から「我が国でもここまでやっている人は少ないよ」なんて誉め言葉(リップサービスでしょうが)を貰えるまでになれるようにはなりました。
全ての軍装収集趣味について言えるのでしょうが、自分が着用している被服や装備が持つ意味を理解する必要がある、そんな気持ちがあれば、あまりにも適当な格好は出来ませんよね。
もしもベトナムに派遣されたオーストラリア軍について少しでも興味があった場合は、恐れることなくイベントで声をかけてみてください。

出典:Australian War Memorial
  

2022年06月24日

『デンジャー・クロース 極限着弾』を考察する11 ロンタンの闘いがもたらしたこと

『解放戦線は少なくとも我々と同等に武装していた。しかし我々の携行弾薬は不十分だった。
最小携行弾薬数を小銃は140 発、軽機関銃は500発に増やすように改善した。
また、D中隊への空中投下による弾薬補給時、各弾薬は梱包された状態であり、小火器への再装填が遅滞した。
解放戦線 は60mm迫撃砲を使用していたが、同クラスの迫撃砲はオーストラリア軍の小銃中隊の標準装備ではなくなっていた。
歩兵大隊には81mm迫撃砲が配備されたが、重火器中隊が管理することになっていた。
今回の戦闘時のように、敵が我々に対して肉薄した場合には(有効射程距離の短い)軽迫撃砲の再装備が検討された。
しかし、軽迫撃砲は小部隊においては行動能力を制限してしまうことが予想された。
代替案として小銃中隊にはM-79グレネードランチャーが支給され、重火器中隊の81mm迫撃砲はM113APCを改修して自走砲化が図られた。』
弾薬が空中投下されたシーンでも「7.62と5.56を分けろ!」なんてセリフがありましたね。
ハリー・スミス少佐が提出した戦闘詳報には「挿弾子による給弾は時間が掛かるので、任務時には装弾済み弾倉の携行数を増やすべき。加えてプラスチック製弾倉も考慮する必要あり。」なんて書いてありました。1966年でプラスチック製マガジン…



『デンジャー・クロース 極限着弾』では、ボルトフォワードアシストの無いM602と追加されたM603の2種類が使用されています。遠景用にはエアソフトガンやラバーガンが使用されているようです。
↓こちらはAustralian War Memorialに所蔵されている、1ATF/HQ中隊に所属していた某中尉が使用していたXM16E1とか。


レシーバーの刻印やシリアルナンバーが見どころなんでしょうかね…小火器には興味がないので猫マタギしてしまいます…

↑こちらはベトナムに非ず。北ボルネオ国境地帯で抽出用ヘリコプタを待つ、オーストラリアSAS/2中隊の某氏。こちらはM602でしょうかね。

劇中でハリー・スミス少佐をフォローするジャック・キルビー准尉。件の空中投下のシーンで、危うく弾薬箱に押し潰されそうになりましたね。

解放戦線の重機関(SG-43)が最終防御線に肉薄した際に、フルオート射撃と手榴弾で沈黙させたシーンがありました…!
劇中では各兵士は弾薬を節約すべく単射に留めていましたが、いよいよ(絶対絶命)という描写も兼ねての演出でしょうかね。
まかり間違ってもAR-15=民間モデルなのでセミオートしか出来ない、というわけではありません!
この辺はミリタリー専門家ではないと間違えることはあるかもしれませんね。

参考:Danger Close: The Battle of Long Tan
Internet Movie Firearms Database
Australian War Memorial  

2022年06月23日

『デンジャー・クロース 極限着弾』を考察する⑩ 劇中登場する小火器や火砲について。

劇中に登場する小火器や火砲について補足してみます。

公式サイトでは「オート・メラーラMod.56 105mm榴弾砲」と紹介されています。しかし、英国連邦であるオーストラリア及びニュージーランド軍での正式名称はL5 105mm榴弾砲です。

こちらは撮影時のスチール写真。撮影には(当然ですが)空砲が使用されています。発砲炎も多いですね。
空砲射撃の場合は後座量も反動も少ないので、特別な油圧装置を取り付けて撮影で使用されています。迫力あるシーンになりました。

「L1A1 セルフローディングライフル」オーストラリア軍ではSelf-Loading Rifleを略したSLRと呼ぶのが一般的です。劇中で殆どの兵士がスリングを使用していません。オーストラリア軍だけではありませんが、基本的に"己の小銃は常に己の手で掴んで離すな"と叩きこまれているからです。

「ベルUH-1イロコイ」劇中で実際に飛行する機体は同型モデル(ベル204)が使用されています。

こちらはベル204を当時の塗装に基づいて再現された機体ですが…

なんと飛行を伴わないシーンでは、実際に作戦で使用された後、国内で展示保存されていた機体(A2-1022)を使用して撮影されています。

「オーウェン・マシンカービン」"水道管を使って製造するという伝説を生んだ変わり種"と解説されていますが…ちょっとよく意味が分かんないですね。劇中に登場するのはオーウェン・マシンカービンMk1/2でしょうか。スミス少佐の戦闘詳報では9mm口径は威力不足であると記載されています。

「M1911 A1自動拳銃」"45ACPまたは455ACP弾を使用"と解説されています。455ACPて何だろ?と思ったら455ウェブリー弾ですか…M1911A1はアメリカ軍からの支給品なので45ACPですね。スミス少佐はブラウニング・ハイパワー用ホルスターに収納しています。

こちら作戦終了後、報道陣に対して当時の状況を解説しているスミス少佐。右腰のホルスターが確認できます。

「AK47自動小銃」"7.92×33mm Kurz弾使用"と解説されていますが、7.62×39mm弾ですね…

戦闘後、遺棄された小火器にはAK-47が33挺が含まれています。

こちらも作戦終了後に滷獲したAKー47を射撃テスト中の6RAR兵士。

「SKS-45スミルノフ・セミオートマチック・カービン」…SKSカービンと呼称するのが一般的ですね…ミルノフではなくシモノフが正解…スミルノフてウォッカですか…

「Stg44突撃銃」遺棄された小火器リストに含まれていないので、実際に使用されたかは不明です…

こちらは詳細不明ですがインドシナ半島に持ち込まれていたStg44…WW2後、フランスで弾薬が製造されていた、との話もあるようです。戦後、あちこちの国(チェコスロバキア等)で製造されていた小銃なので、特別珍しくはないかもしれません。
こんなとこかなぁ…しかし、間違いが多過ぎですね。
添削し始めると本当に疲れます…

参考:映画「デンジャー・クロース 極限着弾」公式サイト
Danger Close: The Battle of Long Tan Facebook  

2022年06月23日

『デンジャー・クロース 極限着弾』を考察する⑨ ロンタンの戦いは50年間封印されたのか?②



ちょっと長いですが、『DANGER CLOSE: The Battle of Long Tan』プロダクションノートから抜粋。DeepL翻訳でザックリと日本語化…
~物語とこの映画の重要性~

『DANGER CLOSE』は、この戦いの事実が非常に重要であり、タイムリーな映画である。
ベトナム戦争へのアンザック(ANZACs)の参加は、国際的にほとんど知られていないか、あるいはほとんど忘れられている。
驚くべき事実は、オーストラリアが最後にアンザック映画を製作してから30年以上経っていることです。
オーストラリアが製作した戦争大作映画のほとんどが、第一次世界大戦を扱ったものである。
1981年の『ガリポリ』と1987年の『砂漠の勇者』が挙げられます。
「ロンタンの戦い」は特別な事実であると同時に、執念、不屈の闘志、劣勢を語り継ぐべき永遠の物語でもある。
この戦いで、108人の若く、ほとんど経験のないアンザック兵士たちが2,000人の熟練兵と戦いました。
「私たちは、このような結束、敗北を受け入れない個人と個人の絆を常に思い出すことが必要です。」
と、クリブ・ステンダース監督は述べています。
「ベトナムに行った兵士たちは、本当に理解されなかった」と彼は続ける。
「彼らは傭兵と呼ばれ、罵倒されました。RSL(退役軍人専用慰安施設)のクラブに入ることさえ許されなかった。
しかし彼らは、ロンタンの戦いだけでなく、ベトナム戦争全体を通して、どのような活躍をしたのか。
1966年8月の午後、4時間にわたって繰り広げられたこの戦いが、彼らの心に深く刻み込まれていることを、私たちは知ることができます。
この戦いは、50年以上にわたって彼らを苦しめ、多くの傷跡を残してきたのです。
この映画は、その恐ろしさを露わにし、観客に彼らが経験したこと、そして、彼らが抱かなければならなかったことを教えてくれる。
そして、50年以上もの間、ほとんど無言で抱き続けなければならなかったものを、観客に示すものです。」

プロデューサーのマイケル・シュワルツはこう述べます。
「DANGER CLOSEは、今この瞬間にとても重要な映画です。
特にオーストラリアとニュージーランドにとって。このような映画は滅多にありません。
アメリカはこういう映画をよく製作します。私たちが戦争の英雄を称えるときは、しばしばオーストラリアの古典的な自虐的な方法で行われます。
ベトナム戦争は政治的にも不人気な戦争として片付けられてしまいました。
しかし、要求された以上のことをやり遂げた彼らを称えることが、現在のオーストラリアに必要なことなのです。
彼らは超人的なヒーローではなく、英雄なのです。」


劇中でジャック准尉を演じたアレックス・イングランドは、ロンタンの戦いの退役軍人と、その日に亡くなった人々への敬意が必要だと感じています。
「第一次世界大戦と第二次世界大戦に赴いたディガー(Digger:豪州兵のあだ名)達は、しばしば上層部の命令を無視してでも戦友を助けあい、守り抜く行動に出ていました。
これらの要素は全て、ロンタンの戦いと結びついています。ロンタンの戦いは、私たちを構成する重要な要素だと思います。」


ラージ二等兵役のルーク・ブレイシーも、こう付け加える。
「歴史を知ることはとても大切なことです。もし私たちが失敗から学ばないのなら、私たちは同じことを繰り返す運命にあります。
この人たちが私たちのためにしてくれたことを、私たちは決して忘れてはいけないのです。
この物語とその語り方が、ロンタンの戦いの教訓を様々な観客に伝える手段になることを願っています。」


バディ伍長役のラザラス・ラトゥーリーは語ります。「この物語は、非常に残酷な状況の物語です。しかし彼らの仲間意識と友情から生まれる素晴らしいものがあります。信じられないほど感動的でした。」

プロデューサーのマーティン・ウォルシュは語る。
「新しいアンザックの神話と伝説を作り続けることが重要なのです。
この映画は、ほとんど認識されていないアンザック・ベトナム帰還兵の全世代の名誉を不滅にするだけでなく、古傷を癒すのに役立つかもしれません。
これは本当に普通の少年が並外れた男になったという真実の物語なのです。」
ざっくり訳すとこんな感じです…
と、作品を制作した意義としては、ベトナム戦争から50余年が経過したなか、ほとんど語られなかったベトナム退役軍人とロンタンの闘いを見つめ直す必要性に駆られた、といったところでしょうか。
日本国内配給会社の"50年の封印を解き、その全貌が明らかになる!"は、長く語られることのなかったロンタンの戦いの全貌が明らかになる!
なんてニュアンスで考えれば、あながち間違いでもない、かもしれませんね。
でも、内容を完全に読み違えている人がいらっしゃいました…
どうやら、オーストラリア政府としては「ロンタンの闘い」は不名誉な戦闘内容であり、それをひた隠しにしたい思惑がある、だから50年も語られなかったのだ…なんて、ほぼ陰謀論めいた妄想ですね…
「日本公開時に、本作品の後援を在日オーストラリア大使館に依頼したが断られた。」これはオーストラリア政府が本作戦を封印したいからである、ともコメントされていました。
ちょっと、いや、かなり驚きましたね。
ホントに本作品を鑑賞されたのかも分かりません。
本当に最悪です。

参考:DANGER CLOSE: The Battle of Long Tan公式サイト
FINAL_Danger_Close_The_Battle_of_Long_Tan_Production_Notes.pdf  

2022年06月23日

『デンジャー・クロース 極限着弾』を考察する⑨ ロンタンの戦いは50年間封印されたのか?①

『デンジャー・クロース 極限着弾』
日本公式サイトから抜粋→
『これは、ベトナム戦争中オーストラリア軍108名人が南ベトナムの農園地帯“ロングタン”で南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)軍約2,000人を相手に戦った「ロングタンの戦い」を壮絶に描く、史実を基にした本格戦争映画だ。この戦いは、オーストラリア軍戦死者18人、負傷者24人というオーストラリアが戦ったベトナム戦史上、1日の損失で最大の戦いであったのにも関わらず、その功績を称えられることがなく50年もの間埋もれてしまっていた。』
←引用ここまで

こちらは日本公開版のリーフレット。"50年の封印を解き、その全貌が明らかになる!"と記載されています。
映画が本国で公開されたのは2019年で、日本での公開が2020年…
ロンタンの闘いは1966年なので、あれこれ計算が合いません。
ロンタン・クロスが建てられたのは1969年だけど…

オーストラリアでは8月18日はベトナム退役軍人の日(ロンタンの日)とされていますが…果たしてロンタンの闘いは封印されていたんでしょうか?
圧倒的な敵兵力数を退けた6RAR(オーストラリア陸軍第6歩兵大隊)D中隊の敢闘は、南ベトナム軍事援助司令部(MACV)とベトナム共和国軍司令部と、オーストラリアのハロルド・ホルト首相から絶大な賛辞を受けています。
1968年5月28日、アメリカ合衆国のリンドン・B・ジョンソン大統領から6RARに対して大統領部隊感状(Presidential Unit Citation)が授与されています。後にオーストラリアから6RARに対して戦闘名誉章(Battle honour Long tan)が贈られています。
D中隊を率いたハリー・スミス少佐をはじめ、戦闘に参加した兵士は殊勲されています。

Military Close授与後のハリー・スミス少佐。何とも言えない表情ですな。
前述しましたが、オーストラリアでは8月18日はベトナム戦争退役軍人の日とされています。
2006年にはロンタンの闘いから40年という節目に、オーストラリアでドキュメンタリー番組が放送されています。

The Battle of Long Tan
ナレーションはサム・ワーシントン。最近、姿を見ないなぁ…
実は2016年公開を目指して、ロンタンの闘いを映画化する企画が進行していました。企画時はハリー・スミス少佐をサム・ワーシントンが演じる予定でした…しかし資金調達を含めて映画化は遅れました…

クラウドファインディングとオーストラリア政府からの助成金も受けて、何とか映画は完成しました。
長くなりそうなので続く…

参考:http://dangerclose.ayapro.ne.jp/info/introduction
DANGER CLOSE: The Battle of Long Tan - Transmission Films  

2022年06月21日

『DANGER CLOSE 196X』後日談


『DANGER CLOSE 196X』後日談です。この解放戦線/解放軍参加者さん達の写真が…回り回って

自分でも信じられないですが、
ヴォー・グエン・ザップ将軍のご子息である
Võ Điện Biên氏(写真左)からお誉めの言葉を戴きました。
「素晴らしいイベントをしていただきありがとうございます。今のベトナムの若者はあの戦争を忘れつつある中で、このようなしっかりとした解放軍と解放戦線の装備を再現し、とても感激しております。この世から去った同志たちと私の父ザップもきっと喜んでおります。ディエンビエンフーの戦いも楽しみにしております。また写真を送ってください。」「これは本当に標準的な装備だよ、素晴らしい!」とコメントを頂きました。
たとえ戦争ごっこ遊びでも、よもやこんなことになるとは思いもよらなんだ。解放戦線/解放軍で参加された方々、本当にありがとうございました!参加した方々が切磋琢磨した結果ですね。しかし、まあ驚いた。これからも頑張ろう。  

2022年06月21日

『デンジャー・クロース 極限着弾』を考察する⑧ M113兵員輸送車について



劇中で活躍する、オーストラリア陸軍第1装甲車戦隊/第3中隊のM113A1兵員輸送車。まさに騎兵隊の登場!といった描写でした。

こちらは、実際にロンタンの闘いに参加したM113A1兵員輸送車、車両番号134200/コールサイン23Aです。



現用迷彩パターンを削り落として、当時の塗装を施す等のレストアを行っている様子。
6RAR(オーストラリア陸軍第6歩兵大隊)D中隊に対する救援作戦(スミスフィールド作戦)に向かったM113A1は、下記の10両です。

以下はD中隊救援任務に就いたエイドリアン・ロバーツ中尉(当時)の証言です。
「熱帯地方特有の豪雨が我々を襲いました。しかし激しい雨音は我々の兵員輸送車のエンジン音を打ち消しました。その結果、D中隊を完全包囲すべく展開していたD445(解放戦線445大隊)を混乱させました。」
「彼ら(D445)は明らかに油断していました。彼らは武器を肩にかけたまま移動中で、戦闘準備ができていませんでした。」
およそ100人以上のD445と激しい戦闘を重ねながらも、第1中隊はD中隊への救援をやり遂げました。

APC部隊の進路を記した戦況地図。D445は2度に亘りAPC部隊の攻撃を受けています。

1966年8月当時のエイドリアン・ロバーツ中尉。2021年12月29日に亡くなられました。

こちらは劇中のスチール写真。当時のM113A1はオーストラリア国内では稼働状態の車両が枯渇したいるようです。オーストラリア陸軍でアップデートされたM113AS4が撮影で使用されています。


こちらはM113AS4。エンジンやトランスミッション、サスペンション等の走行装置と生残性を高める改修が行われています。車体が延長されたので、M113A1と比べて転輪が1組多いですね。

参考:Australian Military Vehicles Research
Danger Close: The Battle of Long Tan  

2022年06月10日

『DANGER CLOSE 196X』無事に終了!



遅ればせながら…『DANGER CLOSE 196X』無事に終了しました…!
参加者28人、見学者1人の小規模イベントでしたが、その分だけ全体的に統制された内容になったかと思います。

今回は千葉県のサバイバルゲームフィールドジェロニモさんで開催しました。

フィールドはもとより、セーフティも綺麗に整備されています…!
エアソフトゲームは、いわゆるヒストリカルゲームのルールに沿いましたが、南側は状況前まではフィールドイン不可としました。
以前から「だいたい敵がどこにいる」という状況がイヤだったので…


南側は斥候チームを編制して、本隊に無線で敵の位置や人数を報告して攻撃を行うこととなりました。
ご覧の通り、フィールド内はジャンゴーな雰囲気満点。

今回、北側は解放戦線を主力として編制されました。事前の打ち合わせ等はなかったようですが、見事に統制されています!
いわゆるベトコン装備と呼ばれている笠(ノンラー)に農民服主体の装備ではないところに注目ですね。
装備もマガジンポーチと水筒、ファーストエイドポーチ程度です。
再現性は世界有数レベルだと思います…!

素晴らしい素晴らしい!
他にもB2iとエアソフトガンを混用したゲームも行いました。
しかし、運用に関してはいくつか改善点がありますね…

改善点1 スモーク(空爆/砲撃支援としての)要請方法。
今回は主催の指示でスモークを焚きましたが、次回は双方が何れかのタイミングで運営に指示可能にします。

改善点2 復活ルール見直し。
復活ルールは、もっとシンプルにします。
1回の状況で2ヒットで重傷。マーカーを1人で2本準備。1発目は白、2発目は赤。赤マーカーになったら自力移動も戦闘も不可。

改善点3 B2i運用方法。レシーバーは人体に装着しなくても良いかも。レシーバーを複数準備して、いわゆるフラッグとして運用するとか。
制限時間内にレシーバー(ターゲット)を撃っていく、長距離(70m程度だけど)狙撃任務ぽい遊び方。狙撃手は2人1組で2チーム。

改善点4 夜間ミリタリーロゲイニング演習。こちらは今回は実施出来なかったので、次回は必ず行います…!  

2021年08月05日

ベトナム派遣オーストラリア軍・スリーピングバッグ


オーストラリア軍官給品スリーピングバッグ(寝袋)。
化繊のアウターにブランケット(毛布)を連結して使用します。

ブランケットは羅紗。縁にアウター連結用ストラップとスナップボタンが付いています。

こちらは木綿製のインナーです。
兵隊さんは"シルク"なんて呼んでたそうな。

↑こちらはAWM所蔵品。
やはり2回ぐらいは使用しましたが、自分は寝相が悪いので…

スリーピングバッグはグランドシートで包んで…

スパイダーハーネスで縛着。サスペンダーに連結します。

↑画像左がスパイダーハーネス。
右に向かって、ブランケット→インナー→アウター→グランドシート→グランドシートバッグ
右側の下段はモスキートネット。
こちらは普通のキャンプで実用しています。