2022年06月23日

『デンジャー・クロース 極限着弾』を考察する⑨ ロンタンの戦いは50年間封印されたのか?①

『デンジャー・クロース 極限着弾』
日本公式サイトから抜粋→
『これは、ベトナム戦争中オーストラリア軍108名人が南ベトナムの農園地帯“ロングタン”で南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)軍約2,000人を相手に戦った「ロングタンの戦い」を壮絶に描く、史実を基にした本格戦争映画だ。この戦いは、オーストラリア軍戦死者18人、負傷者24人というオーストラリアが戦ったベトナム戦史上、1日の損失で最大の戦いであったのにも関わらず、その功績を称えられることがなく50年もの間埋もれてしまっていた。』
←引用ここまで
『デンジャー・クロース 極限着弾』を考察する⑨ ロンタンの戦いは50年間封印されたのか?①

こちらは日本公開版のリーフレット。"50年の封印を解き、その全貌が明らかになる!"と記載されています。
映画が本国で公開されたのは2019年で、日本での公開が2020年…
ロンタンの闘いは1966年なので、あれこれ計算が合いません。
ロンタン・クロスが建てられたのは1969年だけど…
『デンジャー・クロース 極限着弾』を考察する⑨ ロンタンの戦いは50年間封印されたのか?①

オーストラリアでは8月18日はベトナム退役軍人の日(ロンタンの日)とされていますが…果たしてロンタンの闘いは封印されていたんでしょうか?
圧倒的な敵兵力数を退けた6RAR(オーストラリア陸軍第6歩兵大隊)D中隊の敢闘は、南ベトナム軍事援助司令部(MACV)とベトナム共和国軍司令部と、オーストラリアのハロルド・ホルト首相から絶大な賛辞を受けています。
1968年5月28日、アメリカ合衆国のリンドン・B・ジョンソン大統領から6RARに対して大統領部隊感状(Presidential Unit Citation)が授与されています。後にオーストラリアから6RARに対して戦闘名誉章(Battle honour Long tan)が贈られています。
D中隊を率いたハリー・スミス少佐をはじめ、戦闘に参加した兵士は殊勲されています。
『デンジャー・クロース 極限着弾』を考察する⑨ ロンタンの戦いは50年間封印されたのか?①

Military Close授与後のハリー・スミス少佐。何とも言えない表情ですな。
前述しましたが、オーストラリアでは8月18日はベトナム戦争退役軍人の日とされています。
2006年にはロンタンの闘いから40年という節目に、オーストラリアでドキュメンタリー番組が放送されています。
『デンジャー・クロース 極限着弾』を考察する⑨ ロンタンの戦いは50年間封印されたのか?①

The Battle of Long Tan
ナレーションはサム・ワーシントン。最近、姿を見ないなぁ…
実は2016年公開を目指して、ロンタンの闘いを映画化する企画が進行していました。企画時はハリー・スミス少佐をサム・ワーシントンが演じる予定でした…しかし資金調達を含めて映画化は遅れました…
『デンジャー・クロース 極限着弾』を考察する⑨ ロンタンの戦いは50年間封印されたのか?①

クラウドファインディングとオーストラリア政府からの助成金も受けて、何とか映画は完成しました。
長くなりそうなので続く…

参考:http://dangerclose.ayapro.ne.jp/info/introduction
DANGER CLOSE: The Battle of Long Tan - Transmission Films




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