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Posted by ミリタリーブログ at

2021年10月20日

ベトナム戦争でのソビエト特殊任務部隊に関するフォークロア…


1972年、ベトナム領内ハノイに墜落した戦略爆撃機Bー52を検分する、ソビエト人技術者。
昔々はこんな資料は見られなかったし、ロシア語なんかとても読めなんだ。でも電脳空間にはイロイロと落ちてるんですな。

そんなわけで、ベトナム戦争時に実行されたと云われている、ソビエト軍特殊任務部隊の話でも。

~ベトナム戦争でのソビエト軍GRU特殊任務作戦~
1968年5月、ソビエト軍GRU特殊任務部隊(最大10名)が、ベトナムとの国境から30km離れたカンボジア共和国内に存在していたアメリカ軍の秘匿基地への攻撃作戦を実行しました。
アメリカ人達はこの基地を、特殊部隊によるベトナム領内への偵察、墜落した航空機パイロット捜索任務のために使用していました。

この秘匿基地には、2機の軽ヘリコプター(OH-6?)、最大10機の輸送ヘリコプター(CH-47?)、および4機の最新鋭戦闘ヘリコプター(AH-1Gコブラ)が存在していました。
特殊任務部隊の標的は、まさにこれらのヘリコプターであり、特にAH-1Gで試験運用されていた対戦車ミサイル(XBGM-71A)と有線誘導システムの奪取は最優先されました。
25分の激しい戦闘後、AH-1Gコブラ1機はベトナム領内へ移送され、残りの機体は完全に破壊されました。
アメリカ軍は20人に上る被害を受けました。
それから数年後、CIAはKGBからの内部情報によって、ソビエト連邦の特殊任務部隊によって本作戦が実行されたということを認識したのです…

なんて書かれていますが、実際のところはどうなんでしょうかね。個人的には「ホントかよ」と思ってます。
ベトナムに派遣されたソビエト軍人や軍属、特殊任務部隊に関してはWikipediaにも詳細に記載があります。
ベトナムに派遣された歩兵戦闘教官(だったかな)曰く、
「彼らは長い間、彼ら独自の方法で闘ってきた。今さら我々が教育すべきことはない。」
そんなわけで自分は話半分で考えてます。
追記
やはり件の特殊部隊に関する話はデマのようです。
ベトナム戦争のデマ
参考:TV ZVEZDA  

Posted by Контакт!! at 18:03Comments(0)ソビエトベトナム戦争

2021年10月20日

13.Waffen-Gebirgs-Division der SS Handschar


今から30年以上前、古本屋で買った「武装親衛隊ミリタリー・ルック 制服・制帽・装備から階級章まで 」で紹介されていた"ハントシャール師団"にズガンとやられたのを良く覚えています。「なんちゅう変わった部隊じゃ…」高校生だった自分は、いつかこの装備を再現するんじゃ!と決心したのでした。

 その後、今は亡き軍装品店アルバンプロデュースで、M42Feld blouseが発売されるのを知り、社会人になった自分は早速オーダーしたのでした…
生地はM36と同等品に、襟は共生地から濃緑襟に変更してもらい、当時持っていた襟章も縫い付けてもらいました…
当時はFeldgendarmerie(野戦憲兵)で組むつもりはありませんでしたが、だいぶ時間が経過してから良い袖章も入手できたので、FG Troop.13仕様で完成させてしまいました。
完成したつもりでしたが、FG Troop.13について少し検索していたところ…どうやら部隊は乗馬本分者で編制されていたようです。

たしかにバルカン半島のような山岳地帯では騎馬による移動が非常に適しています。


うーん、山岳用ホーゼ(トラウザース)と山岳靴は準備していたけど、Reithose(兵下士官用乗馬ズボン)がないじゃんよ…
と思ってたら、ベラルーシのShusterがリプロを作ってたの思い出しました。
しかし、ウール地の色味がアレだな…とか考えて放置していました。
そして時間は流れに流れ…オーストリア=ハンガリー帝国による、ボスニアヘルツェゴビナ併合なんかに突き当たり…


Bosnisch-Hercegovinische Infanterie(ボスニアヘルツェゴビナ歩兵)の存在をようやく知って、Fezについても、これまでの疑問が何となく解決したのでした…
で、紆余曲折してM1908乗馬ズボンと乗馬ブーツと拍車を入手したのでした。





ブーツはソ連時代の将校常勤用です。拍車は形状のよく似た現代品です。
あれこれ回り道をしつつ、何とかゴールが見えてきましたが、あとは乗馬を始めるべきか否か思案中です。もう老体には厳しいかしら。
  

Posted by Контакт!! at 13:26Comments(0)ナチョス!

2021年10月20日

新 フリッチョフ・エルモ・ポルシュ、またはインゴ・ピーターソンについて。


普及版?白兵戦章銅章。こういう勲章は自分の収集対象からは縁遠いな…と思っていて、昔から興味の対象外でした。
そんな重い腰を上げて買ってみましたが、何かアレだな…玩具みたいじゃん…そんな訳で時代漬け?しました。

あちゃー。やり過ぎた…何か発掘品みたいじゃんよ…
銀章を買ってから色調を変えていけば良かった感。まぁ、少し離れれば気がつかれないか…と自分に言い聞かせるのでした。

~突撃大隊の概要~
突撃大隊は、第一次世界大戦時に膠着状態に陥っていた塹壕戦を打破すべく考案された、部隊編制です。
当時の最新小火器であるところの短機関銃と軽量化された機関銃、手榴弾で武装し、敵塹壕内に浸透して相手を駆逐する任務内容から、死傷者も多数発生しましたが、硬直化した前線に少なからず影響を与えています。
第500突撃大隊(1943年5月時)の編成。
大隊本部及び本部要員 約22名
突撃中隊(4個小隊)×4
1個中隊 210名
高射砲小隊 約40名
工兵小隊 約40名
輸送小隊 約20名
通信小隊 約10名
補給及び修繕分隊 約30名
医療分隊 約12名
大隊予備(1個分隊) 収容された負傷者により随時編制
大隊構成員 約1000名(1053名とも?)

~突撃中隊概要~
1個中隊 4個小隊編制+中隊本部12名
1個小隊 4個分隊編制+小隊長1名
1個分隊 10名(分隊長含む?)
以下は特記事項。
各中隊内の第1小隊は隊員40名全てが短機関銃を装備していました。
第2~4小隊は合計で7挺程度の短機関銃を装備しています。
また、各小隊で軽機関銃が1挺とされています。
かなり異質な構成ですな…
次回は高射砲小隊以下の概要について。

参考 突撃大隊 Wikipedia
  

Posted by Контакт!! at 07:56Comments(0)ナチョス!