2021年10月19日
続々 フリッチョフ・エルモ・ポルシュ、またはインゴ・ピーターソンについて。

工兵科肩章のリプロダクト。あ、付ける服が無い…!
~第500突撃大隊の受勲者数~
壮烈な闘いを繰り広げた大隊の受勲者数を記してみます。
騎士鉄十字章 1名
ドイツ十字章 6名 ※4名は1945年4月授与
名誉鑑章 5名
白兵戦章 金章 108名
白兵戦章 銀章 488名
白兵戦章 銅章 516名
二級鉄十字章 1128名
一級鉄十字章 644名
歩兵突撃章 金章75回 113名
歩兵突撃章 金章100回 27名
大隊員は総勢で1263名だったと書かれています。
…自分でも書き写していて、現実感がなくなってきました。
何というかランバ・ラル隊みたいな感じですね。
次回は大隊の詳細でも…
2021年10月19日
閑話休題 フリッチョフ・エルモ・ポルシュ、またはインゴ・ピーターソン氏について。

フリッチョフ・エルモ・ポルシュ氏。※戦後撮影と思われます。
襟章は交差したライフルと手榴弾(のミラータイプ)、襟元は騎士鉄十字章(代用品です)、ドイツ十字章が見られます。
左胸は白兵戦章の金と銀を並列で佩用しています…
右上腕部は戦車撃破章の金章、その下に見えるのは数字の15です。個人戦車撃破数が15両に達した際に、特別に取り付けたと云われています。
※ポルシュ氏個人の最終撃破数は25両とも。
両袖に見える3本のラインは中隊長を示す部隊内での"非公式"階級章です。1本の場合は分隊長、2本の場合は小隊長とされています。
騎士鉄十字章(1945年4月28日授与説)の授与に関しては、戦後において様々な議論を呼んでいます。
手に持っているのは、敵味方に畏怖の対象となっていた、"ヴォルコフ"と呼ばれた杖です。
武装親衛隊第500突撃大隊の当時の写真は殆ど確認されていません。
SS-Sondereinheit Dirlewanger、ディルレヴァンガー部隊と思われる写真はいくつか確認されていますが…

Photos : William Vandivert - LIFE Collections
1945年エルベ河に脱出成功した将兵の中に、特務部隊を示す襟章の隊員が見られます。
紛らわしいことに、第500突撃大隊とディルレヴァンガー部隊はベルリン攻防戦でほぼ同じ戦線に存在しています。
第500突撃大隊はメルキッシュ・ブッフホルツで文字通り壊滅したので、この隊員に関してはディルレヴァンガー部隊員と考えて間違いないでしょう。
2021年10月19日
続 フリッチョフ・エルモ・ポルシュ、またはインゴ・ピーターソンについて。

"SS-Sondereinheit Dirlewanger/SS特務部隊ディルレヴァンガー専用襟章"と一般的には認識されていますが、本来は部隊職種(Sonderkommando)を示す記章です。
余談ですが、ディルレヴァンガー部隊の襟章は部隊マークと同じく交差した手榴弾に変更されたとも言われています。
第500突撃大隊は1943年の秋、Reichsführer des SS(親衛隊全国指導者)H・ヒムラーから記章の装用許可を得たと言われています。
~特務中隊ドーラの誕生~
1944年5月、落下傘降下訓練過程を修了した中隊員を中核に、大隊は特務中隊2個を編制します。
中隊員は短機関銃や突撃銃(StG44?)、アメリカ軍のリボルバー拳銃で武装し、敵地後方へ落下傘降下、奇襲作戦や橋頭堡の確保といった特殊性の高い任務を実行します。
以下は第500突撃大隊がソビエト赤軍から得たと云われる各種装備品です。
※1943年5月から1945年4月まで
T-34戦車 17両
トラック 92台
オートバイ 72台
重火砲 21門
野砲 44門
対戦車砲 35門
対戦車ライフル 41門
軽迫撃砲 86門
重迫撃砲 116門
重機関銃 72挺
軽機関銃 144挺
短機関銃 811挺
小銃及び拳銃 多数
他に3116人に上る捕虜、航空機撃破と撃墜38機、戦車撃破338両とされています。
~続く~