2022年01月24日

南ベトナム解放民族戦線について。

現在、日程調整中のイベント、
『DANGER CLOSE 196X』について。
自分でも何となく理解していたつもりだった、北側陣営についてアレコレをまとめてみます。
南ベトナム解放民族戦線について。

↑こちらはベトナム南東部に位置するバリア=ブンタウ省に展開していた、
南ベトナム解放民族戦線のD445(第445機動大隊)と呼ばれている写真です。
映画『デンジャー・クロース 極限着弾』では6RAR(オーストラリア軍第6歩兵大隊)と戦火を交わしたのもD445でした。
D445は南部ベトナム人を中心に1965年5月に編制(小銃中隊3個・重火器中隊1個)された350名の戦闘部隊でした。
南ベトナム解放民族戦線について。

↑こちらは7RAR(オーストラリア軍第7歩兵大隊)が作戦中に取得したD445兵士のものと思われるアルバムから。
南ベトナム解放民族戦線について。

南ベトナム解放民族戦線について。

ベトナム戦争がシチュエーションのエアソフトゲーム等では、十把一絡げに"ベトコン"とカテゴライズされている場合が多い解放戦線…自分も少し前までは、そんな認識でした。解放戦線は自分たちの力で現在の政府(南ベトナム)を打倒することを目標としています。
必ずしも共産主義を信条とはしていない部隊もあります。
さらには南北ベトナム人の気質の違いもあり、必ずしも一枚岩ではありませんでした。
ちょっとばかり大雑把になりますが、いわゆる北側陣営の解放戦線について簡単に解説してみます。
南ベトナム解放民族戦線について。

こちらは詳細は不明ですが、南ベトナム解放民族戦線と思われます。統一された戦闘服(2ポケットシャツとトラウザース)にブッシュハット、小火器(M2カーヴァインやBAR)は鹵獲品です。
南ベトナム解放民族戦線について。

さすがに弾薬の製造は出来ないとは思いますが、鹵獲した小火器の修理は密林内の支配地域に設営された工廠で行われていました。
シャツとトラウザースの色調が異なる兵士が見られますが、支給された戦闘服のサイズが身体に合わないため、別の兵士と交換した、染色が弱いので洗濯する度に退色した等、様々な理由があるようです。
南ベトナム解放民族戦線について。

戦争映画や漫画の影響もあって、ベトコン=傘を被って農民服姿というイメージが強いですが、実際は純然たる武装組織であり統一された戦闘服を着用しています。
南ベトナム解放民族戦線について。

↑こちらは解放戦線フルイメージ装備…上着はサムズミリタリ屋さん扱いの北ベトナム軍戦闘服のエポレットを取ってダイロンで染めてみました。襟元はド定番?のアメリカ軍パラシュート生地のスカーフ。56式弾帯は調節具が金属製の初期型と呼ばれている仕様です。
南ベトナム解放民族戦線について。

同じくパラシュート生地をマントのように被せてみました。フルイメージ装備ではありますが、悪くないかも?
南ベトナム解放民族戦線について。

腰回り。あれこれ写真を眺めましたが、ベルトにはファーストエイドキットと水筒だけを下げている例が多いです。
南ベトナム解放民族戦線について。

予備弾薬や食料といった物資は解放戦線の別部門が担っており、戦闘時に必要な分だけを装備しているようです。
エアソフトゲームではありがちですが、現代の感覚でアレコレを盛る必要はありません。
南ベトナム解放民族戦線について。

勇猛なD445はバリア=ブンタウ省に展開していたオーストラリア軍と何度も戦火を交えています。
オーストラリア軍も幾度となく掃討作戦を敢行しましたが、遂にD445を壊滅させることは叶わず撤退しました。
南ベトナム解放民族戦線について。

↑こちらは戦場となったロンタンに設置された記念碑です。オーストラリア軍が設置したロンタン・クロスはベトナム政府が管理する博物館で保存されていましたが、2017年にオーストラリアに返還されています。ロンタンクロスの隣にはD445の慰霊碑も設置されています。
そんなわけで、戦争ごっこ遊びでも「誰と闘っていたのか」「相手はどんな状況だったのか」「闘っていた相手はどうなったのか」
この辺を知っているのと知らないのでは大分違ってくるんじゃないかな…
参考:australian war memorial




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