2023年02月04日

1964年頃の南ベトナム解放民族戦線装備について。

1964年頃の南ベトナム解放民族戦線装備について。

西側のジャーナリストとして初めて南ベトナム民族解放戦線に取材した、ウィルフレッド・バーチェット氏(眼鏡をかけた人物)。
1963年10月から1964年3月まで中央高地やクチ、サイゴンを訪れている。解放戦線の装備や被服が参考になります。
1964年頃の南ベトナム解放民族戦線装備について。

バーチェット氏と解放戦線兵士。
解放戦線兵士はブッシュハットに戦闘服、装備ベルト(TAP50?)にサンダル履き。M1カービンと思われる小銃を所持しています。
1964年頃の南ベトナム解放民族戦線装備について。

解放戦線女性兵士たち。
戦闘服ではなく、アオババ(農民服/ブラックパジャマ)を着用しています。ベルトはローカルメイドのようです。女性用としてウェストサイズを絞ってあるんじゃないかな…足元は定番のサンダル履きです。右側の方は迷彩柄のブッシュハットを被っているようです。
1964年頃の南ベトナム解放民族戦線装備について。

砂盤演習中の解放戦線兵士たち。いわゆる戦略村攻撃演習でしょうか。教官と思われる人物は立派な軍靴(援越靴?)を履いています。見守る解放戦線兵士達は無帽の人もいれば、ブッシュハットを被っている人もいます。戦闘服のデザインもまちまちですね。
1964年頃の南ベトナム解放民族戦線装備について。

解放戦線兵士と叉銃。
M1ライフル(ガーランド)、M1/M2カーヴァイン、トンプソンM1A1、BAR M1918A2といったベトナム共和国軍からの鹵獲品で構成されています。※第1次インドシナ紛争後のフランス軍残置品もあります。SKSやAK-47(五六式)は見当たりません。
1964年頃の南ベトナム解放民族戦線装備について。

トンプソンとガバメント拳銃を持った解放戦線兵士たち。1963年までの解放戦線は武器が不足しています。相手から武器を奪うための戦闘作戦が各地で行われたようです。
1964年頃の南ベトナム解放民族戦線装備について。

気勢をあげる解放戦線兵士たち。
バーチェット氏のレポートを一部抜粋します。
「地元住民の助けがなければ、我々は常に困難に直面していたでしょう。彼らは負傷者を避難させ、捕獲した装備を戦場から持ち帰るのを手伝ってくれています。」
「…各中隊はアメリカ製カービン銃を入手することになっていました。そうしないと、部隊の弾薬共通化に問題が生じてしまいます。」
1964年頃の南ベトナム解放民族戦線装備について。

年代不明ですが、恐らく1960年代初頭の如何にもな宣伝写真。
M3サブマシンガンを持つドヤ顔の解放戦線兵士はトグルボタン式の3連マガジンポウチ(中国54式用?)をたすき掛けしています。その左隣は衛生兵でしょうか…?
1964年頃の南ベトナム解放民族戦線装備について。

無反動砲(57mm無反動砲?)と解放戦線兵士。
無反動砲は解放戦線の重火器中隊で運用され、彼らの最大火力です。こちらも予備弾筒の供給が限られているので、射手は一発必中の精度が求められています…
無反動砲の装填手以外はムウコーイを被っているようですが、いわゆる北ベトナム軍で使用されているものとは異なるシルエットに注目。
解放戦線の戦闘服

1964年頃の南ベトナム解放民族戦線装備について。

1964年頃の南ベトナム解放民族戦線装備について。

ベトナム派遣オーストラリア軍が鹵獲した解放戦線の戦闘服。こちらは1965年以降のものですが、1964年頃のデザインと大きく変わっていないと思います…
戦闘服上衣(シャツ)は前合わせは4つボタンの開襟。胸ポケットにはプリーツ(襠)付きでエポレットが付いた定番デザインです。
プリーツとエポレット、ポケットの有無や色(黒や濃紺、カーキ系)などのバリエーションが多く存在しています。
戦闘服下衣(トラウザーズ)はボタンフライでベルトループのついたシンプルなデザイン。全体的にゆったりとしたシルエットです。
解放戦線の戦闘装備

1964年頃の南ベトナム解放民族戦線装備について。

1964年頃の南ベトナム解放民族戦線装備について。

一般的に使用されていたであろう装備ベルト。上からフランス軍TAP50ベルトとアメリカ軍M1936ピストルベルトOD#7。いずれもリプロダクトです。当時はベトナム人民軍のバックルベルトは見られません。
1964年頃の南ベトナム解放民族戦線装備について。

アメリカ軍ファーストエイドキットポウチ。こちらもリプロダクトです。解放戦線では比較的に戦争後半まで使用されています。
1964年頃の南ベトナム解放民族戦線装備について。

アメリカ軍1Qt水筒。こちらもリプロダクトです。中国人民解放軍の水筒よりも容量が多く、かつ機能的です。
解放戦線兵士にも人気があったと考えています。
バーチェット氏のレポートには当時の解放戦線兵士の心情が残されています。
「…政府軍の補給処には様々な装備がありました。戦闘装備品から援助物資の小麦が詰まった麻袋に至るまでUSのステンシルが施されていました…」
当時はホーチミンルートの整備が未完成であり、ベトナム民主共和国からの支援物資は不足していたようです。
解放戦線兵士の装備は敵に頼る(奪う)のが実情だったようです。
これら基本的装備に、所持している小銃用弾薬盒や予備弾倉ポウチを加えますが、それらを全く縛着していない兵士も多数見られます。その利用は解放戦線の基本戦術に由来しますが…長くなるので別の機会にします…

56式自動歩槍(56式小銃/中国製AK-47/K-56)の配備状況

1964年頃の南ベトナム解放民族戦線装備について。

具体的な時期と地域は調べきれていませんが、1964年にはベトナム人民軍兵士が解放戦線に大規模(10000人とも)合流を開始しています。正規軍事訓練を受け、解放戦線と比べて潤沢な装備を持った人民軍は解放軍として南ベトナム軍に襲いかかりました。
1964年末までの南ベトナム軍の戦傷死者数は、1963年と比べて30%増加しています。
これらは56式自動歩槍による攻撃が大きく影響している、とアメリカは評価しているようです。
しかし、解放戦線は基本的に武器供給を相手に頼る必要があり、ようやく弾薬共通化が計られている最中でした。
そこに口径が全く異なる56式自動歩槍が大量に供給され、解放戦線兵士が使用したかと言うと…かなり疑問です。
56式自動歩槍が解放戦線兵士に行き渡るのは、ずっと後だったと考えています。
よって、1964年頃の一般的な解放戦線兵士をリエナクトやヒストリカルゲーム等で再現する場合は、使用を控えた方が良いでしょう。

かなり割愛しましたが、いわゆるベトナム戦争初期の解放戦線についての覚え書きです。
追って出典を記載しますので、興味が出てきた方は調べてみてください。
出典:JOURNALIST WILFRED BURCHETT




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