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Posted by ミリタリーブログ at

2024年04月30日

フリッチョフ・エルモ・ポルシュ、またはインゴ・ピーターソンの華麗なる大冒険



『The SS-Sonderkommando “Dirlewanger”: A Memoir』をスマホのグーグルレンズアプリでポツポツと読んでいます。
そこで興味深い記述が。
『1944年9月、ダンツィヒ・マツカウ矯正収容所から補充人員が部隊に到着した。その中には戦後に"インゴ・ピーターソン"という筆名で、SS500突撃大隊に関する本を書く人物もいた。彼は当時から"虚言癖"があった。収容所に送られる前にEK2を授与されるような戦功があったかは分からない。しかし、我々の部隊で中隊長や小隊長になることもなかった。』
ということは、以下の経歴も全て疑わしいわけで…


1924年10月19日生まれ
17歳で武装親衛隊入隊→軍法会議→懲罰部隊→名誉回復のため落下傘降下と特殊戦闘技術を取得→
対戦車中隊(DoraⅡ)隊長→ベルリンの戦いを生き抜く→戦後は収容所から脱走し、バルト三か国の反共パルチザン支援などの特殊任務に就く→
SS500突撃大隊の戦記を発行する
2015年11月7日死去

対戦車中隊DORA2での奮戦もデタラメか…自分の父親の経歴さえも詐称したようですし…
対戦車中隊DORA2終焉の場所も、ディルレヴァンガー部隊が包囲された場所もメルキッシュ・ブッフホルツだったりするのは偶然では無かった、てことなんでしょう。

でも、こんなことは英語圏では常識だったと考えると恥ずかしい気持ちになります…
一連の記事は己への戒めとして削除しないでおきます。

出典:フォーラムサイト
ロシアフォーラムサイト

  

Posted by Контакт!! at 15:30Comments(0)ナチョス!

2023年03月28日

MILITARY HARBOR イタリア生地/M44戦闘服 続き

2022年に購入したMILITARY HARBOR イタリア生地/M44戦闘服ですが、
『ベルリンの戦い~ゼーロウ高地とキュストリン~』で着用してからは、長らく放置プレイ。
SS第500突撃大隊の対戦車中隊で参加OKなイベントは、そうあるわけでもないし、ちょっと忙しかったし。
最近は早めの身辺整理をしているので、あまり買い物をしないようにしていましたが…
アメリカの軍装品店「AT THE FRONT」に末期型戦闘服ボタンが入荷していました…!

LATE WAR TUNIC BUTTON, UNISSUED
実は前から欲しかったので速攻で購入。
実物は見たことなかったし。塗装色もPanzer Grauなのだ。
この辺は推測でしかないけど、戦闘車両の基本塗装色が1943年から変更になったので、Panzer Grauは大量に残っていたんじゃないかな。

マジマジとPanzer Grauオリジナル塗装色を眺める。プラモデル用塗料では各社からPanzer Grau(ジャーマングレー)は販売されている。あくまでも感覚でしかないけど、タミヤのジャーマングレーが近いかな…


そんな感慨にふけりつつボタン交換。茶系のフィールドグレー44なんかだと、もうちょっと映えるんじゃないかな…
ミリタリーホビーもファストファッション化して、1シーズン着たらイベントやネットオークションなんかで売っちゃう人も増えたような気もします。
でも、あちこち弄ってやれば愛着も沸くんじゃないですかね。
昔からM44戦闘服は好きだったんだけど、満足できるクオリティのリプロダクトがなかった。
ようやく良い感じのが出てきた頃には…
野外で遊ぶモチベーションが低下…何とかしなきゃいかんです。
  

Posted by Контакт!! at 15:33Comments(0)ナチョス!

2022年04月30日

MILITARY HARBOR M37 HBT Tunic


しかし、ミリタリーハーバーも変なアイテムばかりラインナップしてるな…よほど詳しいんだか詳しくないんだか。

そんなわけで、シルエットは悪くないか…と思って購入。商品画像はグレー生地ぽく見えたけど、到着したのはリードグリーン生地。


どうせボタンは糸で留めてるかと思いきや、S字リングを使ってる。頑張ってんじゃん。
まあ、手を抜くところはガッツリ抜いてるけど。


しかし、戦前親衛隊のHBT生地はアースブラウン・アースグレイ・グレイの3種類だったよな、と思い出してアレコレ眺めていたら気になって仕方なくなった…

洗濯すれば少しは色味が変わるかな?と思ったけど、立派な染料を使ってるのか脱色しない…これまでの中華製品だと、あっという間に色が落ちるのに。
仕方ないのでブリーチ剤を投入して、染色し直すつもりで再トライ。

うーん、グリーンでは無くなった。かと言ってアースグレイでもグレイでもないような…
自分の悪い癖なんだけど、ゴールを明確にしないでフィーリングで弄っちゃうのだよな。
記章をどうするか…SSーVTぽくするのが良いんだろうけど、SSーTVからのWaffen SSという選択肢もあるのかもしれない。
とりあえずアドラーと肩章だけ手配しよう。  

Posted by Контакт!! at 12:49Comments(0)ナチョス!

2022年04月26日

MILITARY HARBOR イタリア生地/M44戦闘服


WWII German M44 SS EM Italian Field Wool tunic Feldbluse blue green grey


素性は悪くない、スタイルは悪くないですが少しだけ弄りました。
野戦ボタンは悪くないので再塗装しただけ。襟元や袖のボタンは交換しました。

Vショーなんかでボタンや金具なんかをアレコレ買っておくのも良いですね。しかし、昔はダメダメだった野戦ボタンも、最近は良く出来てる…

襟元。水で濡らしてからビューンと引っ張って伸ばしました。※襟フックは後で外しました。

完成型?こちらは遊び毛をブラシで取った程度。まあ、パッと見は悪くないかも。
リプロダクトなんか弄ってなんぼ、使ってなんぼです。まあ、弄るのも限度があるので、素性が悪くないモノを選択するのが一番ですな。
どこのメーカーのリプロが良いのかは、実物の画像を眺めていれば自ずと判断できます。あとはVショーなんかで詳しい人に聞いてみるとか。
一昔前に比べればリプロの価格は安くはなりましたが、それでも年間で着用する回数から考えれば高い買い物です。
買う前に自分でアレコレ調べたり、買った後で改造するのもミリタリーホビーの醍醐味かもしれませんね。  

Posted by Контакт!! at 16:31Comments(0)ナチョス!

2022年04月26日

MILITARY HARBOR イタリア生地/山岳帽


なんとなくミリタリーハーバーのイタリア生地/山岳帽を購入しました。
パッと見は「悪くないじゃんよ」なんて思いましたが、着地点を考えないまま弄りました。

リプロダクトなんか弄ってなんぼ、使ってなんぼの精神で、ブラシを掛けたり剃刀で表面を撫でたり…
この後で洗濯機でバンバン洗いました。ミリハバの羅紗生地は洗って全く縮みません…帽子のフラップも樹脂製と思われる芯材が入ってます。他の高級リプロだと、ダメになっちゃいますが…

遊び毛も飛んで、使用感タップリになってしまいましたが、まだ一度も被ってません。ボタンも交換しました。

分かりにくいので自然光で。うーん、フラップを汚い感じにしたくなりましたが、あんまりヤリ過ぎると復員した時に被ってた帽子ですか?みたいになるので我慢。あとは金属製ドクロと逆三角形アドラーをつけてお終い。
ミリタリーハーバーに限らず、リプロもアレコレ改造すれば愛着もひとしおです。


  

Posted by Контакт!! at 15:52Comments(0)ナチョス!

2022年03月24日

『ベルリンの戦い~ゼーロウ高地とキュストリン~』無事に終了しました!


『ベルリンの戦い~ゼーロウ高地とキュストリン~』無事に終了しました!
当日は福岡や愛媛、兵庫から参加された方々もいらっしゃいました。
また物販に関しても多数出店いただけました。※以下敬称略
リエネクターズギア


フライングフォートレス


国際大隊


サムズミリタリ屋


サウザントリーブスレジメント


降下猟友会


引き続き、大まかにですがイベントの様子を更新します…







初日はフィールド内での撮影会も行われました。こちらは労農赤軍で参加されたグループの写真。エアガンはパワーソース無し、ゴーグルも安全管理下なので着用していません。



これまでは休憩時間などを利用して撮影会を行っていましたが、初日はエアソフトゲームを開催しませんでしたので、余裕ある撮影などに活用できました。


こちらは防衛側であるところのドイツ軍部隊。
武装親衛隊降下猟兵600大隊、海軍歩兵第1師団、国民突撃隊等多彩な部隊が参加されました。

  

Posted by Контакт!! at 10:33Comments(0)ナチョス!

2022年01月25日

イベントのご案内『ベルリンの戦い~ゼーロウ高地とキュストリン~』その③

1945年4月16日に発動されたベルリン占領作戦(ベルリン作戦)をイメージしたエアソフトガンを使用するイベントです。
いわゆるリエナクトメントやミリシムでもヒストルカルゲームでもありません。通常のエアソフトゲームです。
こちらのレギュレーションを一部改訂しましたのでご紹介します。










現在、物販出店を表明されている方々。
国際大隊(労農赤軍関連)
サウザントリーブスレジメント(WW2関連)
スターリングラード(労農赤軍/ロシア関連)
リエナクターズギア(WW2関連)
フライングフォートレス(WW2関連)
敬称略
又、前回のアフガン198Xで好評でしたロシア昼食セット(¥500予定)も3月20日のみですが販売予定です。
こちらはメニュー内容が確定しましたら、参加者の方にDM配信いたしまして先行予約を取らさせていただきます。
※配食方式です。飯盒やスプーンなどカトラリー持参をお願いします。

※画像はイメージです。
参加者は30人程度で締め切らさせて頂きます。※エアソフトゲーム参加者です。
参加ご希望の方は当ブログにコメント頂いても受付可能です。
宜しくお願い致します。  

Posted by Контакт!! at 15:01Comments(0)ナチョス!ソビエト

2021年12月05日

Leibermuster ライバー迷彩についての覚え書き



へー、Military harborさん、ライバー迷彩もわざわざ新しいパターンを作ったんだな。でも版ズレまで再現しちゃってんじゃん…おまけにコットン生地か…HBT生地じゃないの?
で、製品カテゴリーが「WWII German SS leibermuster camo M44 field tunic」になってる…ライバー迷彩は、アメリカ軍の"リチャードソン報告"で武装親衛隊新型迷彩と説明されていたんだっけか?それの影響なのかな?

そんなわけでライバー迷彩について、ざっくり覚え書き。

迷彩パターンの開発者はヨハン・ゲオルグ・シック教授。シック教授はこれまで武装親衛隊の各種迷彩パターンをデザインしています。ライバー迷彩は、武装親衛隊を含めた全軍共通での使用を目的として開発が進められました。既にドイツでは実用化されていた赤外線暗視装置にも対応すべく、黒い染料には炭素物質が混入されています。巧みに配置された迷彩の黒い箇所は赤外線を吸収し、夜間においても身体の輪郭をぼかすことが可能とされています。※戦後、アメリカが実証実験しています。
この特殊染料の開発を担当したのが、技術者であるヘルムート・ライバー氏。この迷彩パターンの名前の由来でもあります。
この特殊染料と生地への染色技術の特許出願が1942年5月5日とされています。迷彩生地を製造したのは繊維産業大手だったシュリーパー&バウム社です。

写真は大戦末期のプラハ蜂起(1945年5月)時に降伏したドイツ陸軍部隊(第100猟兵師団?)とも言われているようです。
トラックのフェンダーのステンシルは第1スキー猟兵師団とか。同師団は1945年5月にチェコで降伏しています。

チェコには大規模被服工廠があり、先行してライバー迷彩戦闘服が生産されていたと考えられます。
以前はライバー迷彩服を実際に着用している写真を見かけることはありませんでした。しかし、1992年頃から同迷彩服を着用した兵士の写真が発表され、また実物と思われる迷彩戦闘服各種も市場に現れるようになりました。

しかし、現在のところ武装親衛隊が着用している写真は見つかっていないようです。※ラトビアのリガから撤退する武装親衛隊員が着用していて同地の博物館に所蔵されている、という記述もあります。

第2次世界大戦後のライバー迷彩

1950年、西ドイツは再軍備化を開始するとともに、NATO(北大西洋条約機構)加盟への準備を始めていました。しかし、フランスは西ドイツのNATO加盟に反対しており、新たに欧州防衛共同体(EDC)構想を発案します。1952年、西ドイツもEDC加盟に調印しました。
EDC加盟国には、調達の集中化を目的とした武器や戦闘服の共通化が定められていました。西ドイツは特許所有者名を公表しない条件(恐らくは非ナチ化の影響?)付きでライバー迷彩を復活。
EDC加盟国共通迷彩服として開発を進めました。

↑こちらはライバー1955迷彩と呼ばれるパターンです。同迷彩服の生産はEDC加盟を表明していたベルギーで20000着が生産予定でしたが、紆余曲折してEDCは頓挫。
ライバー55迷彩服の大量生産もキャンセルされました。
新編された西ドイツ軍では、試験的に製造された戦闘服が若干数は配備されたようではあります。

↑チェコスロバキア軍"Duby"迷彩
1948年、かつてドイツにより占領統治されていたチェコスロバキアは社会主義共和国となりました。
チェコスロバキア人民軍が発足され、ドイツの資材も大量に流用されたようです。その中にはライバー迷彩生地も含まれていました。
当初は、ライバー迷彩をそのまま量産していましたが、やがて自国で色調を変更して1960年代まで採用しています。
赤外線暗視装置に対応する炭素入り染料に関しても継承されています。個人的には実物と称されているライバー迷彩服には、少なからずチェコ製のFakeが混ざっているんじゃないかな?と考えています…

↑スイス軍Taz55/57迷彩
スイスはチェコスロバキアにあったドイツ製染色機械を購入し、ライバー迷彩をベースにした戦闘服を開発したようです。本来は版ズレしてしまった部分のホワイトを、あえてデザイン化したんでしょうか。スイスの残雪を思わせる独特のパターンです。


しかし、一昔前はお金を払わないと見られなかった貴重な写真がタダで見られてしまう、とんでもない時代になりましたね。海外の言語も指でなぞれば日本語翻訳。
しかし、その分だけ自分でアレコレを考えなくなってきました…
物覚えも加速度的に悪くなってきたし。何とかしなくちゃ。

参考
https://heroesandgenerals.com/forums/topic/82692-full-leibermuster-ge-camouflage-rework/
https://de-m-wikipedia-org.translate.goog/wiki/Leibermuster?_x_tr_sl=de&_x_tr_tl=ja&_x_tr_hl=ja&_x_tr_pto=sc
https://www.militaryharbor.com/ww2-german-German-Empire-Third-empire-ww1-german/German-Uniform/german-Camo-Uniform/German-SS-Camo-Tunics/WWII-German-SS-leibermuster-camo-M44-field-tunic
CAMOUFLAGE UNIFORMS OF THE Waffen-SS  

Posted by Контакт!! at 11:48Comments(2)ナチョス!

2021年11月18日

Britische Freikorps(イギリス自由軍団)のお話


随分と前に見た映画の画像ですが…原題『Joy Division/Vörös vihar』第二次世界大戦末期のドイツ領から物語は始まって、そこで主人公がイギリス自由軍団(BFC)の兵士と遭遇します。その後は…覚えてません…良い雰囲気の作品だったような。
さて、ベルリン戦のノルトラント師団について斜め読みしていた時に、BFCもいたんだっけ、と思って何となく眺めていたら興味深いBFC隊員に辿り着きました。

トーマス・ハラー・クーパー(Thomas Haller Cooper 1919~1987?)
~トーマス・ハラー・クーパー前半生~
トーマスはイギリス人の父親アシュリーとドイツ人の母親マリアの間に産まれました。
1936年、名門校であるラティマー高等学校を卒業(退学とも)するも、母親がドイツ人であるという理由からか、自身が希望していたイギリス海軍と空軍、警視庁入りへの道を絶たれてしまいました。

憤慨したトーマスはイギリスファシスト連合に入隊します。
※画像はイギリスファシスト連合(British Union of Fascists)。

画像はReichsarbeitsdienst(ドイツ国家労働奉仕団)
~トーマス、ドイツに渡る~
その後、流暢なドイツ語話者であるトーマスはドイツに渡り、RAD(ドイツ国家労働奉仕団)事務所で職を得ることが出来ました。
しかし、第2次世界大戦勃発に伴い、1939年9月3日に敵性外国人としてドイツ当局に逮捕されてしまいます。
機転を働かせたトーマスは「自分の母親はドイツ人である。よって自分は民族ドイツ人である。」この願いは受け入れられ釈放されました。
しかし、すでに帰国も適わない状況であるトーマスに対し、ドイツ当局は親衛隊に入隊しないか?という誘いを与えます。
既に父親はイギリス軍に応召されているような自分を、果たして親衛隊は受け入れてくれるのか?
トーマスはドイツ人に対して問いましたが、親衛隊は志願入隊に関しては問題はない、と返答したようです。
1940年7月、トーマスは親衛隊髑髏部隊(SS-TV)第5大隊8中隊へ入隊します。

親衛隊髑髏部隊(SS-TV)
~トーマス戦歴を重ねる~
トーマスは機関銃手としての訓練を受け、Rottenführer(親衛隊兵長)を経て、Unterscharführer(親衛隊伍長)に昇進しました。

トーマスは第3SS装甲師団に配属されたのでは?と考えています。
1943年2月、トーマスは東部戦線(第3次ハリコフ攻防戦?)で両足に重傷を受けましたが、戦友に救出されて無事に後送されました。

トーマスは戦傷章/銀を授与されます。これは第2次世界大戦時において、イギリス人がドイツ軍より勲章を授与された唯一の例となりました。トーマスはOberscharführer(親衛隊曹長)に昇進します。

~トーマス、イギリス自由軍団に参画する~
トーマスは、遅々として進まないBritische Freikorps/British Free Corps(イギリス自由軍団)編制に向けて、格好の人材として親衛隊上層部の目にとまりました。

トーマスは募兵活動拡大と訓練教官としてイギリス自由軍団に加わりましたが、1944年11月に部隊から追放されてしまいます…

~トーマス、イギリス自由軍団から追放される~
追放理由は"ありとあらゆる反国家的犯罪者である"とされています。しかし、強烈な自殺願望の持ち主や詐欺師、およそ戦闘任務に就くことが出来ない志願者達を前に、東部戦線帰りのトーマス自身が完全に愛想を尽かしたんではないか?と想像しています。

~トーマス終戦を迎える~
その後、トーマスは武装親衛隊装甲擲弾兵訓練大隊の教官を経てFeldjäger korps(フェルトイェーガー軍団)に配属されて終戦を迎えます。
※Feldjäger korpsは最低3年間の最前線勤務経験、2級鉄十字章の授与は必須であり、賞罰の有無に関しても非常に高い水準が求められます。よってトーマスには前述の賞罰や逮捕歴はないと考えています。

トーマスが収監された際の写真です
~トーマス母国へ連行~
終戦を迎えたトーマスはイギリスに連行され、母国に対する大逆罪として裁かれ、1946年1月に絞首刑を宣告されます。しかし、処刑数日前に終身刑に減刑されました。そもそも"民族ドイツ人"であるトーマスをイギリス人として裁くのは正しいことなのか?と物議があったのかもしれません。終身刑の刑期は更に短縮され、1953年1月にトーマスは釈放されます。

~トーマス来日~
釈放されたトーマスは日本に渡り、東京で語学教師として後半生を送ることになります。更に仏教徒となりました。
時期は不明ですが、再び本来の母国イギリスに戻り1987年(1990年代後半とも)に、その波乱の人生を終えたそうです。

今日、初めて知りましたが日本にイギリス自由軍団に関わった方が一時期でも存在していたのには驚きました…
しかし、まあトーマスの人生に多大な影響を与えた国家と戦争…
ホント、戦争なんか真っ平ゴメンですな。

参考
https://en.wikipedia.org/wiki/British_Free_Corps
https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Haller_Cooper  

Posted by Контакт!! at 20:27Comments(2)ナチョス!

2021年11月18日

イベントのご案内『ベルリンの戦い~ゼーロウ高地とキュストリン~』


海外コミュニティ(Facebook)で見つけた、「千夜一夜戦闘団/SS第560特殊任務駆逐戦車大隊」所属車両と言われているヘッツァー駆逐戦車の写真。避難民と進行方向が同じなので、キュストリンから撤退中なんでしょうか…もしくは、もっと後の状況なのか…


この一連の写真は、ドイツ=ポーランド国境付近に設営された塹壕内のドイツ海軍歩兵師団兵士たちとか。この見晴らしの良い状況下でパンツァーファーストを渡された兵士の気持ちを鑑みると…

さて、『ベルリンの戦い~ゼーロウ高地とキュストリン~』のイベントレギュレーションを少し改訂しました。
参加可能ユニット
ドイツ陣営
海軍歩兵師団/第9降下猟兵師団/RAD歩兵師団/ベルリンを巡る戦いに参加した武装SS師団及び戦闘団/シュペーア大隊・SA旅団・一般親衛隊徒歩連隊など党組織/
※エアソフトゲームでは陸軍部隊と民間服の国民突撃隊は参加できません。前日のミリタリーキャンプには陸軍部隊でも参加可能です。
ソビエト連邦陣営
第1及び第2ベラルーシ方面軍/第1ウクライナ方面軍/第1ポーランド軍
労農赤軍(RKKA)で参加される方は戦車跨乗部隊(タンクデサント)をイメージした装備での参加が可能です。行軍装備である必要はありません。※パルチザンの募集はありません。
申し訳ございませんが、女性の方は戦闘部隊での参加はできません。


ベルリンに向けて進軍する第1ポーランド軍(ポーランド人民軍)。
ポーランド人民軍(LWP)の高品質リプロダクトもあるんですね…

↑ポーランドのサイトです。現在の状況を考えると、イベントまでに間に合わせるのはギリギリのタイミングかもしれません。
本イベントはミリシムでもリエナクトでもヒストリカルゲームでもありません。
普通のエアソフトゲームですが、実際の戦闘をモチーフとしています。この戦闘で家族を亡くした方々が双方に存在しています。
イベント参加者の方々は、「自分たちが着用している装備被服の意味と歴史的背景」に関しては念頭にいれておいていただくと有難いです。
装備と被服はリプロダクトで参加可能です。
ただし、余りにも史実とはかけ離れた装備と被服での参加は、お断りする場合もございますのでご了承ください。 あまり具体的な装備例などは個人的にはあまり掲示したくはありません。
このイベントをきっかけにして、アレコレと調べてみるのを停めてしまうことにもなりますので…
「この装備で参加できるだろうか?」と思ったら、必ず主催にお尋ねください。 当日は、ドイツ陣営にもソビエト陣営にも詳しい方が参加されます。
普段、疑問に思っていることや着こなしなんかも聞いてみてください。そういった交流の機会を設けるために本イベントは開催します。
イベント詳細はこちらから。レギュレーションは随時変更する場合もございます。→『ベルリンの戦い~ゼーロウ高地とキュストリン~』

参考
https://en.wikipedia.org/wiki/Polish_People%27s_Army
  

Posted by Контакт!! at 09:15Comments(0)ナチョス!