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Posted by ミリタリーブログ at

2021年10月22日

ベトナム戦争とスペツナズ


高温多湿の環境であるベトナムでの生活は、ソビエトから来た人間にとっては厳しかったようです。
前回の記事に書いた「ベトナム戦争でのソビエト特殊任務部隊」について。
「ランボー2や軍事スリラー小説で描かれている、ソビエト人狙撃手や空挺軍による特殊作戦は行われていたのか?」
いわゆるスペツナズが南ベトナムで実戦参加していたのでしょうか?

種明かしにはなりますが、ベトナム派遣ソビエト顧問団戦友会は正式に否定しています。
「日本とフランス、そしてアメリカと25年以上にわたり闘い続けているベトナム人に対して、ジャングルでの戦闘やコマンドサンボを教育する必要があるか?」
ただし、戦略爆撃機B-52の情報提供といったマクロな視点での協力体制は非常に緊密な関係を築いていました。
B-52がどの基地から何時に離陸したか、飛行隊の編成と侵入する方角といった具体的な内容はベトナム防空部隊に対して迅速に伝えられています。

ソビエト軍人が非正規であろうとも、ベトナム領内で戦闘行動を行い、それらが発覚した場合の影響は非常に大きいです。これらについては顧問団はもとより、政府の上層部は非常にセンシティブに考えられています。そのような状況が暴露された場合、国家として立場を危うくするリスクは回避されていました。
軍事顧問団は護身用であろうとも、携帯火器は支給されませんでした。もちろん、ベトナム領内で護身しなければならないような状況にはなりませんでしたが。

かつて、ソンタイ捕虜収容所襲撃作戦「アイボリー・コースト」において、ソビエト軍事顧問を殺害したという記述がありました。
これに関しては、作戦に参加したアメリカ軍特殊部隊員は、このような供述はしていません。
第三者による付随情報ですな。

まあ、情報は後だしジャンケンみたいなものなので仕方ないですね…
ただし興味を持ったモノについては、常にアンテナを複数張り巡らす必要があるかもしれないです。

まあ、アクション映画やスリラーを完全否定するほど野暮ではありません。でも、それらを真実として受けとめてしまうのはダメです。

参照 https://ru.m.wikipedia.org/wiki/%D0%93%D1%80%D1%83%D0%BF%D0%BF%D0%B0_%D1%81%D0%BE%D0%B2%D0%B5%D1%82%D1%81%D0%BA%D0%B8%D1%85_%D0%B2%D0%BE%D0%B5%D0%BD%D0%BD%D1%8B%D1%85_%D1%81%D0%BF%D0%B5%D1%86%D0%B8%D0%B0%D0%BB%D0%B8%D1%81%D1%82%D0%BE%D0%B2_%D0%B2%D0%BE_%D0%92%D1%8C%D0%B5%D1%82%D0%BD%D0%B0%D0%BC%D0%B5  

Posted by Контакт!! at 20:16Comments(0)ソビエトベトナム戦争

2021年10月21日

アフガニスタン戦争のスティンガーミサイル



何らかの対空火器で撃墜されたMi-24戦闘ヘリコプター。

「ランボー3/怒りのアフガン」内容はあんまり覚えてないですな…最初は「ハイランダー 悪魔の戦士」のラッセル・マルケイが監督じゃなかったっけ…?

「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」けっこう変な映画を撮ってるマイク・ニコルズ監督作品。「サイクロン計画」の一端を分かりやすく描いている秀作です。

スティンガー地対空ミサイルとムジャヒディン達。
同ミサイルが登場するまではイギリス製ブローパイプミサイルが使用されていた。

さて、アクション映画やドラマでは「スティンガーがアフガン戦争を終わらせた!」ような描写が為されています。
では、実際はどうだったんでしょうか。

~アフガニスタン戦争のスティンガーミサイル~
1986年2月、様々な懸念材料はありましたが、アメリカはスティンガー発射システム240基とミサイル1000発をアフガニスタン反政府組織への供与を決めました。
同年9月、3機のMi-24戦闘ヘリコプターが撃墜されました。
これがスティンガーによる初戦果とも言われています。
アフガニスタン駐留ソ連軍(第40軍)は、新たな対策を図りました。
固定翼機は高度5000m(スティンガーの射程圏外)からの対地攻撃を行い、ヘリコプターは渓谷沿いを低空飛行するようになりました。スティンガーは機体の背後に空がないと命中精度が低下するからです。また、エンジン排気口は熱低減用フィルター、赤外線フレアを増設する等の改修も行っています。
加えて、スティンガーミサイルを滷獲する作戦も行われています。


諸説ありますが、ソ連軍特殊任務部隊は1987年1月にはスティンガーミサイルの滷獲には成功しているようです。
スティンガーはアメリカと険悪な関係であるイランにも流出。
1987年9月のイラン軍事パレードに登場してしまいました。
CIAは供与したスティンガーを膨大な価格で買い戻すことになりました…
スティンガーはソビエトがアフガニスタンから撤退するに当たり、大きな役割を努めた、と喧伝されています。
比較になりますが、アメリカがベトナム戦争中に喪失したヘリコプターは5086機とされています。
対してソビエトがアフガニスタンで喪失したのは、
固定翼機113機、ヘリコプター333機とも記録されています。
この数値には、スティンガー登場以前に撃破された数も含まれています。
果たして、スティンガーがアフガニスタンにもたらした恩恵は何だったんでしょう…やはり宣伝効果ですかね。
我が国でも導入されていますが、果たしてその実用性は…
それを証明することにならなきゃ良いですが
参考
白水社 アフガン侵攻1979−89 ソ連の軍事介入と撤退
  

Posted by Контакт!! at 22:22Comments(0)ソビエトアフガニスタン

2021年10月20日

ベトナム戦争でのソビエト特殊任務部隊に関するフォークロア…


1972年、ベトナム領内ハノイに墜落した戦略爆撃機Bー52を検分する、ソビエト人技術者。
昔々はこんな資料は見られなかったし、ロシア語なんかとても読めなんだ。でも電脳空間にはイロイロと落ちてるんですな。

そんなわけで、ベトナム戦争時に実行されたと云われている、ソビエト軍特殊任務部隊の話でも。

~ベトナム戦争でのソビエト軍GRU特殊任務作戦~
1968年5月、ソビエト軍GRU特殊任務部隊(最大10名)が、ベトナムとの国境から30km離れたカンボジア共和国内に存在していたアメリカ軍の秘匿基地への攻撃作戦を実行しました。
アメリカ人達はこの基地を、特殊部隊によるベトナム領内への偵察、墜落した航空機パイロット捜索任務のために使用していました。

この秘匿基地には、2機の軽ヘリコプター(OH-6?)、最大10機の輸送ヘリコプター(CH-47?)、および4機の最新鋭戦闘ヘリコプター(AH-1Gコブラ)が存在していました。
特殊任務部隊の標的は、まさにこれらのヘリコプターであり、特にAH-1Gで試験運用されていた対戦車ミサイル(XBGM-71A)と有線誘導システムの奪取は最優先されました。
25分の激しい戦闘後、AH-1Gコブラ1機はベトナム領内へ移送され、残りの機体は完全に破壊されました。
アメリカ軍は20人に上る被害を受けました。
それから数年後、CIAはKGBからの内部情報によって、ソビエト連邦の特殊任務部隊によって本作戦が実行されたということを認識したのです…

なんて書かれていますが、実際のところはどうなんでしょうかね。個人的には「ホントかよ」と思ってます。
ベトナムに派遣されたソビエト軍人や軍属、特殊任務部隊に関してはWikipediaにも詳細に記載があります。
ベトナムに派遣された歩兵戦闘教官(だったかな)曰く、
「彼らは長い間、彼ら独自の方法で闘ってきた。今さら我々が教育すべきことはない。」
そんなわけで自分は話半分で考えてます。
追記
やはり件の特殊部隊に関する話はデマのようです。
ベトナム戦争のデマ
参考:TV ZVEZDA  

Posted by Контакт!! at 18:03Comments(0)ソビエトベトナム戦争

2021年10月16日

空挺軍ベレー




久しぶりに引っ張り出してみた空挺軍ベレー。
画像左側は1989年予算製、右側は1980年予算製です。
型崩れ防止のボール紙も一緒にしてありますが、未使用とまではいかないですね。自分が被っちゃってるし。
日本人には馴染みが薄いベレーは、なかなか格好よく被るのが難しいですね。

こちらはアフガニスタン退役軍人コミュニティからの画像です。個人的には前列中央の人物と後列右側2人の被り方が、最高に格好いい!と思います。

当時の流行なんでしょうか、年代によってベレーの被り方も様々です。

うーん、画像一番右の御仁のベレーの被り方が狂おしいほどに格好いいですな。ベレーの縁革が眉間近くになるように前傾させて、帽章も顔面の中心に位置しています。



宣伝広報写真では、非の打ち所がないぐらい規定に則った被り方をしています。
自分が収集を始めた頃の"ソ連空挺部隊"のイメージは、まさにこれ。
他国の軍隊で使用されているベレーと異なり、帽章が顔面の中心にあって、かつ美しくプレスされています。AKS74Uを構える空挺隊員のベレーの角度に注目すると、被り方が分かりやすいですね。

あの後頭部に乗せる被り方はいつ頃から流行したのかは、未だ調べていません。さすが"クルサント"ともなると、ふざけた様相では写真も撮りませんな。ベレー右縁の位置と角度も含めて、納得が出来るまで鏡の前で調整したんでしょうかね。

ピタピタに改造したデンビル服で記念撮影。ベレー周囲は、ほぼ完璧に近い真円が再現されています。
ソ連軍のベレーは他国とは異なり、複数枚の生地を組み合わせて作られています。この辺りも注視して、実際の画像を眺めてはベレーの"格好いい被り方"を練習してみましょう。

くれぐれも大黒さんのような被り方は…世界的に鑑みてもエラーですの止めましょう…!
参考
https://mobile.facebook.com/groups/251087941599981/?refid=7&_ft_=qid.-7592895797488105906%3Amf_story_key.2914997410603858736%3Atop_level_post_id.6309204332454948%3Acontent_owner_id_new.100051953780881%3Apage_id.251087941599981%3Asrc.22%3Aphoto_attachments_list.%5B424592572615865%2C424592612615861%2C424592659282523%2C424592685949187%5D%3Aphoto_id.424592572615865%3Astory_location.5%3Astory_attachment_style.album%3Aview_time.1634339288%3Afilter.h_nor%3Aott.AX9lxzt1LPEFMdvC%3Atds_flgs.3%3Apage_insights.%7B%22251087941599981%22%3A%7B%22page_id%22%3A251087941599981%2C%22page_id_type%22%3A%22group%22%2C%22actor_id%22%3A100051953780881%2C%22dm%22%3A%7B%22isShare%22%3A0%2C%22originalPostOwnerID%22%3A0%7D%2C%22psn%22%3A%22EntGroupMallPostCreationStory%22%2C%22post_context%22%3A%7B%22object_fbtype%22%3A657%2C%22publish_time%22%3A1634283545%2C%22story_name%22%3A%22EntGroupMallPostCreationStory%22%2C%22story_fbid%22%3A%5B6309204332454948%5D%7D%2C%22role%22%3A1%2C%22sl%22%3A5%7D%7D&__tn__=C-R&_rdc=1&_rdr  

Posted by Контакт!! at 08:20Comments(0)装備ソビエトアフガニスタンアフガン198X

2021年10月15日

ТЕЛЬНЯШКА・空挺軍シャツ


ソビエト連邦時代のものは市場でも枯渇したようですね。タグ付き未使用品クラスは、1000ドルなんて金額でオークションで落札されたとか。

こちらは先の画像左側のシャツ。脇下の縫い目に注目。入手したのは1995年ぐらいだったかな…当時も空挺軍シャツは余り見かけなかったような気もします。

こちらは画像右側のシャツ。脇下に縫い目がない筒縫いです。残念ながらタグはありません。

こちらの兵士は空挺軍各種記章を規定通りに装用していますが、親衛旗(グヴァルディア)章を佩用していないのでGRU
特殊任務部隊所属か空中強襲旅団所属でしょうか…
アフガニスタンに派遣された空挺軍や特殊任務部隊以外の兵士たちも、何らかの手段で空挺シャツを入手して着用していました。
ただし、非常に誇り高い彼ら空挺軍隊員に見つかった場合、生命の保証は出来かねますが。
通常兵科のシャツはこちらです。

  

Posted by Контакт!! at 06:30Comments(0)装備ソビエトアフガニスタンアフガン198X

2021年10月14日

ソビエト軍第173特殊任務分遣隊とウッドランド迷彩服




1枚目はオリジナル。2枚目は着色写真です。第173特殊任務分遣隊・1987年撮影※カンダハル近郊?と言われている画像です。
左から2番目の某上級中尉は1988年に戦死されたそうです。
いわゆるウッドランドパターンのBDUを着用しているように見えます。
以前、TCU(Tropical Combat Uniform)の3rdか4thを着用しているソビエト兵の写真を見たことがあります。
これらも「サイクロン作戦」の一環で送られた物資なんでしょうかね。
当時のほぼ最新型である戦闘服まで供与していたのは、少し驚きです。
参考
https://www.facebook.com/photo/?fbid=1489388491434544&set=gm.6153089668066416  

Posted by Контакт!! at 13:34Comments(0)装備ソビエトアフガニスタン

2021年10月11日

第2回アフガン198Xレポート ※加筆中



こちらアフガニスタン介入時に導入された最初期のボディアーマー6Б1…!
現物を見るのは初めてです。参加者の方から見せて頂きました!
いやはや随喜。
さて、第2回アフガン198X無事に終了しました!
今回の参加者数は、
初日・15名、翌日・17名の合計32名となりました。


マフティー・ナビーユ・エヴィンを中心として編成されたムジャヒディンの方々。9名ですが常に第40軍を常に圧倒しました。
士気は高いし、平均年齢も高い!

こちらはソビエト第40軍。当日は運営のコールサインはカモメ(チャイカ)、偵察隊はカラス(ヴァローナ)、空挺主力はスズメ(ヴァロヴェーイ)、他の兵科は運営での予備部隊として進行しました。
カラスに貸与した特省無線機は電池残留が少なかったようで、不便をかけました。猛省。
ご参加頂いた皆様、本当にありがとうございました。
簡潔になりますが、イベントレポートです。

前夜祭はサバイバルゲームフィールドV1/セーフティエリアにて開催致しました。http://www.village-one.org/
電子レンジ、飲料水自動販売機、Bluetoothスピーカー、バッテリー充電用コンセント、水洗トイレ(ウォシュレット!)他の充実設備です…!
前夜祭は特別にイベントも無いので、ソーシャルディスタンスを保ちつつの歓談会とフリマ開催。
セーフティエリア内での宿泊も可能ですが、今回はフィールド管理人さんの御好意により、エアコン完備のコンテナハウスを解放していただき、こちらでも就寝可能となりました。

前夜祭フリマの一部。こちらはセミプロディーラー、スターリングラードさん。軍装品から民間使用品など品揃え多数…!


軍装品以外にもエアソフトガンや現用装備品も安価で販売しておりました。


そんな自分はビール8本、赤ワインをきこしめて、とっとと轟沈したのでした…久々に酷い二日酔い。
そんな状態で、イベント当日を迎えました…


翌日はフリマ出店される方も増えました。1PN34とか、危うく買いそうになりました…断捨離中なのと、自分のところに来ても箪笥の肥やしになってしまうので、ぐっと我慢の子。

ミリタリーアイテム以外に、伝統的な兵食セットの配給もありました。

こちらは状況進行中の私。普通のサバゲーもご無沙汰なので、進行が滞ることもありました…海より深く反省。

第40軍で参加された方々は皆さま若かったかしら…
アラフィフのオッサンからは羨ましい限りですよ…平均年齢は20代かな…
エアソフトゲームは人数に勝る第40軍を一斉投入せず、前述の通り分割して進行しました。

しかし、闘い慣れしているムジャヒディン側は滅法強く、囮(非武装の村人)についていったばっかりに、完璧なキルゾーンに導かれて抹殺されてしまったとか。
そんなわけで午前中のゲームは御仕舞い。
昼食を挟んでから、キシュラクへの医療支援や逃げ出した家畜を捕まえる等の小ネタを行い、最終ゲームと相成りました。
最終ゲームは第40軍陣地にムジャヒディンが猛攻するシチュエーションで進行しました。  

Posted by Контакт!! at 09:36Comments(0)ソビエトアフガニスタンアフガン198X

2021年10月08日

アフガニスタンのM16A1シリーズについて。


アフガニスタンでM16A1シリーズが目撃されるようになったのは、1984年頃とも言われています。弾薬箱と20連マガジン、クリップにも注目。

アメリカ合衆国中央情報局"CIA"によるサイクロン作戦(ムジャヒディンに対する武器供与と資金援助作戦)により、様々な小火器がパキスタンを経由して送られています。

ソビエト軍特殊部隊員による、スタジオポートレイト。G3A4にも注目。


いわゆる鹵獲兵器は、弾薬等が充分に供給されない場合もあるので実戦場で使用される例は稀です。
特に、アフガニスタンでは使用されていなかった5.56mm小口径弾に関してはどうだったんでしょうか…

南北ベトナム統一以前に、既にソビエトはM16シリーズを入手して研究を進めていたようです。


アメリカ合衆国によるアフガニスタンへの介入証左として喧伝されたのでしょうか。記録写真や個人的な記念写真にも、それなりの枚数を発見することが出来ます。

残念ながら、当時のソビエト軍兵士によるM16A1シリーズに対する評価は調べられていません。
だって自分、鉄砲には全く興味が無いもん…


参考:
https://www.facebook.com/groups/328142748311735/permalink/550658549393486/?app=fbl  

Posted by Контакт!! at 07:59Comments(0)装備ソビエトアフガニスタンアフガン198X

2021年10月07日

第2回アフガン198X シナリオゲームについて。





第2回アフガン198Xで行う、シナリオゲームについて説明します。
暫定的にシナリオゲームと呼んでいますが、実際に起きた戦闘を模した状況をエアソフトゲームで再現を試みてみる、そんな内容です。
使用するのはエアソフトガンなので、航空機や火砲による支援は再現出来ません。参加者数によって再現できる作戦規模も小さくなります。
今回は第40軍によりアフガニスタン某州で実行され、結果的には失敗した"Операция Акабане"を基にしたシナリオとなります。

史実でのОперация Акабане概要
目標:好戦的部族長ヴァルタクミ師の排除
フェーズ1
偵察部隊によるヴァルタクミ師と配下の潜伏地を特定。増援部隊を誘導する。
フェーズ2
増援部隊はヴァルタクミ師と配下を排除。
フェーズ3及び4
アフガニスタン政府軍と医療支援部隊による、地域住民への宣撫活動。
フェーズ5
政府軍と支援部隊は駐留、周辺状況に応じて段階的に撤退。

史実では、このような作戦案でしたが、残念ながら上手くいかなかったようです。
どのような結果になったかは、Операция Акабанеで検索してみてください。  

Posted by Контакт!! at 08:00Comments(0)装備ソビエトアフガニスタンアフガン198X

2021年10月06日

アフガニスタンのMP5について。


有名な写真ですが、アフガニスタン民主共和国の初代革命評議会議長、ヌール・ムハンマド・タラキー氏と警護部隊。MP5A2が確認できます。

MP5はイラン及びパキスタンでもライセンス生産が行われています。
アフガニスタンで使用されているMP5シリーズに関しては、果たして何処の国から流入しているのかは分かりません。

後に"嵐333号作戦"で排除される第2代革命評議会議長、ハフィーズッラー・アミーン氏の警護部隊も同様の装備であったことが、同作戦に参加した部隊から判明しています。

"嵐333号作戦"に参加した特殊部隊員は防弾アーマー(形式不明6b1?)を着用しており、拳銃弾程度ならば防ぐことが出来ました。

それなりの数量のMP5シリーズがアフガニスタンには存在しています。

ただし使用は都市部に限られているようです。ソビエト軍ではAKS74Uやステーチキン自動拳銃といった同種の小火器もあり、MP5には大して興味を持たなかったのかもしれません。

こちらはムジャヒディンでの使用例。アフガニスタンには55ヵ国にも上る国々から様々な武器が流入しています。

ムハンマド・ナジーブッラーアフガニスタン共和国初代大統領の警護要員のようです。スリングに注目。  

Posted by Контакт!! at 18:25Comments(0)装備ソビエトアフガニスタンアフガン198X