2022年09月10日

ベトナム戦争と中華民国(台湾)軍事顧問団①

ベトナム戦争と中華民国(台湾)軍事顧問団①

大昔、何かの本で「ベトナム戦争中の台湾は、アメリカに空軍基地を提供し、将兵の慰安先として機能していた」なんて読んだ記憶があります。周辺国(タイ王国やオーストラリア、韓国など)のように、現地には兵員を派遣していなかったんだな、なんて思ってました。
でも、何となく検索していたら興味深い記事がありましたので、ザックリと解説してみます…

第一次インドシナ戦争中、中華民国(台湾)はベトナム全土の共産化を防ぐため、(アメリカ合衆国からの要請もあり)同国への上陸作戦を計画していたようです。
しかしフランスが破れ、ベトナムは南北に分割されます。
1955年末、インドシナ半島南部に誕生したベトナム共和国(南ベトナム)と中華民国は、南沙諸島での衝突やベトナム在住華僑の排斥など様々な問題を抱えてはいましたが、国交を樹立します。
1959年よりベトナム共和国と中華民国は相互に人員を派遣し、新生ベトナム共和国軍の強化を図り始めます。
1961年初頭、中華民国は王昇を団長とした亀山軍団と呼ばれる顧問団7名をベトナム共和国に派遣します。
1963年、ベトナム共和国の軍事クーデターにより一時的に亀山軍団による指導は中断されます。同じく顧問としてベトナムに派遣されていた南ベトナム軍事援助司令部(MACV)から、亀山軍団の指導内容は高く評価されています。
同年8月、南ベトナム軍事援助司令部のウェストモーランド将軍は、ベトナム共和国とアメリカ合衆国、中華民国の3ヶ国間で協定を結び、中華民国軍は軍事顧問団の名目でベトナムに赴くが、戦闘任務には直接関与しないことに合意した。
既にベトナムに展開していた他国の軍事顧問団とは異なり、中華民国軍は自国の軍服の着用が許されています。
ベトナム戦争と中華民国(台湾)軍事顧問団①

軍事顧問団としての正式派遣
1964年9月、中華民国は15人からなる軍事顧問団を1年間ベトナムに派遣することを決定した。
中華民国軍事顧問団の主な任務は次の通りである。

1.ベトナム共和国軍の政治戦教育確立を支援する。
2.政治戦担当者の育成を支援する。
3.共和国軍の一般政務・戦務の推進を支援する。
4.共和国軍の政治戦に関する規則や書籍の作成を支援する。
5.共和国軍に戦略的助言を与えること。
6.ベトナム人の政治犯の更生を支援する。
7.共和国軍の各業務を監督する。
8.中華民国大陸反攻作戦のためのベトナム戦争情報収集。
※政治戦とは政治工作や心理戦といった高度な戦争指導です。

1965年、中華民国はベトナム側の政治戦部の下地を完成させ、政治戦総局とその下部局、政治戦大学、各戦術区、海軍・空軍の政治戦部門の顧問を追加招聘しました。
ベトナム戦争と中華民国(台湾)軍事顧問団①

Republic of China Military Advisory Group, Vietnam・ROCMAGV(中華民国ベトナム軍事支援グループ)
1967年、中華民国軍事顧問団は"中華民国ベトナム軍事支援グループ"に名称変更し活動を続けていきます。
支援グループは以下の4つに分類されています。
政治戦支援部 政治工作、心理戦(解放戦線の離反工作など)支援。この部門は1975年4月18日(サイゴン陥落12日前)まで活動を続けた。
軍事物資支援部 小火器類の納入とその運用教育。
海上輸送支援部 アメリカ海軍から貸与された4隻のLST(Landing ship,tank 戦車揚陸艦)を使用し、海上からの支援物資輸送に従事した。艦艇には星条旗を掲げ、乗員はアメリカ海軍の制服を着用していました。
航空輸送支援部 中華民国空軍 第34飛行中隊(黒蝙蝠飛行中隊)
アメリカ空軍から貸与された輸送機(C-123)による物資輸送と、特殊工作員の浸透支援や情報収集等、多岐に渡っています。
CIA特殊飛行作戦部隊であるエア・アメリカと密接に活動していました。※エア・アメリカの使用機体の多くは中華民国で登録されています。
ベトナム戦争と中華民国(台湾)軍事顧問団①

ベトナムで活動中の第34飛行中隊Cー123プロバイダー輸送機。
このように、基本的に直接的な戦闘任務には赴いていないように思えますが…ちょっと長くなりそうなので続きます…

参考:中華民國駐越軍事顧問團
中華民國駐越軍事顧問團
蔣派王昇赴南越協助抗共




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Posted by Afghan1989 at 09:51│Comments(0)ベトナム戦争
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