2022年06月23日
『デンジャー・クロース 極限着弾』を考察する⑩ 劇中登場する小火器や火砲について。
劇中に登場する小火器や火砲について補足してみます。

公式サイトでは「オート・メラーラMod.56 105mm榴弾砲」と紹介されています。しかし、英国連邦であるオーストラリア及びニュージーランド軍での正式名称はL5 105mm榴弾砲です。

こちらは撮影時のスチール写真。撮影には(当然ですが)空砲が使用されています。発砲炎も多いですね。
空砲射撃の場合は後座量も反動も少ないので、特別な油圧装置を取り付けて撮影で使用されています。迫力あるシーンになりました。

「L1A1 セルフローディングライフル」オーストラリア軍ではSelf-Loading Rifleを略したSLRと呼ぶのが一般的です。劇中で殆どの兵士がスリングを使用していません。オーストラリア軍だけではありませんが、基本的に"己の小銃は常に己の手で掴んで離すな"と叩きこまれているからです。

「ベルUH-1イロコイ」劇中で実際に飛行する機体は同型モデル(ベル204)が使用されています。

こちらはベル204を当時の塗装に基づいて再現された機体ですが…

なんと飛行を伴わないシーンでは、実際に作戦で使用された後、国内で展示保存されていた機体(A2-1022)を使用して撮影されています。

「オーウェン・マシンカービン」"水道管を使って製造するという伝説を生んだ変わり種"と解説されていますが…ちょっとよく意味が分かんないですね。劇中に登場するのはオーウェン・マシンカービンMk1/2でしょうか。スミス少佐の戦闘詳報では9mm口径は威力不足であると記載されています。

「M1911 A1自動拳銃」"45ACPまたは455ACP弾を使用"と解説されています。455ACPて何だろ?と思ったら455ウェブリー弾ですか…M1911A1はアメリカ軍からの支給品なので45ACPですね。スミス少佐はブラウニング・ハイパワー用ホルスターに収納しています。

こちら作戦終了後、報道陣に対して当時の状況を解説しているスミス少佐。右腰のホルスターが確認できます。

「AK47自動小銃」"7.92×33mm Kurz弾使用"と解説されていますが、7.62×39mm弾ですね…

戦闘後、遺棄された小火器にはAK-47が33挺が含まれています。

こちらも作戦終了後に滷獲したAKー47を射撃テスト中の6RAR兵士。

「SKS-45スミルノフ・セミオートマチック・カービン」…SKSカービンと呼称するのが一般的ですね…スミルノフではなくシモノフが正解…スミルノフてウォッカですか…

「Stg44突撃銃」遺棄された小火器リストに含まれていないので、実際に使用されたかは不明です…

こちらは詳細不明ですがインドシナ半島に持ち込まれていたStg44…WW2後、フランスで弾薬が製造されていた、との話もあるようです。戦後、あちこちの国(チェコスロバキア等)で製造されていた小銃なので、特別珍しくはないかもしれません。
こんなとこかなぁ…しかし、間違いが多過ぎですね。
添削し始めると本当に疲れます…
参考:映画「デンジャー・クロース 極限着弾」公式サイト
Danger Close: The Battle of Long Tan Facebook

公式サイトでは「オート・メラーラMod.56 105mm榴弾砲」と紹介されています。しかし、英国連邦であるオーストラリア及びニュージーランド軍での正式名称はL5 105mm榴弾砲です。

こちらは撮影時のスチール写真。撮影には(当然ですが)空砲が使用されています。発砲炎も多いですね。
空砲射撃の場合は後座量も反動も少ないので、特別な油圧装置を取り付けて撮影で使用されています。迫力あるシーンになりました。

「L1A1 セルフローディングライフル」オーストラリア軍ではSelf-Loading Rifleを略したSLRと呼ぶのが一般的です。劇中で殆どの兵士がスリングを使用していません。オーストラリア軍だけではありませんが、基本的に"己の小銃は常に己の手で掴んで離すな"と叩きこまれているからです。

「ベルUH-1イロコイ」劇中で実際に飛行する機体は同型モデル(ベル204)が使用されています。

こちらはベル204を当時の塗装に基づいて再現された機体ですが…

なんと飛行を伴わないシーンでは、実際に作戦で使用された後、国内で展示保存されていた機体(A2-1022)を使用して撮影されています。

「オーウェン・マシンカービン」"水道管を使って製造するという伝説を生んだ変わり種"と解説されていますが…ちょっとよく意味が分かんないですね。劇中に登場するのはオーウェン・マシンカービンMk1/2でしょうか。スミス少佐の戦闘詳報では9mm口径は威力不足であると記載されています。

「M1911 A1自動拳銃」"45ACPまたは455ACP弾を使用"と解説されています。455ACPて何だろ?と思ったら455ウェブリー弾ですか…M1911A1はアメリカ軍からの支給品なので45ACPですね。スミス少佐はブラウニング・ハイパワー用ホルスターに収納しています。

こちら作戦終了後、報道陣に対して当時の状況を解説しているスミス少佐。右腰のホルスターが確認できます。

「AK47自動小銃」"7.92×33mm Kurz弾使用"と解説されていますが、7.62×39mm弾ですね…

戦闘後、遺棄された小火器にはAK-47が33挺が含まれています。

こちらも作戦終了後に滷獲したAKー47を射撃テスト中の6RAR兵士。

「SKS-45スミルノフ・セミオートマチック・カービン」…SKSカービンと呼称するのが一般的ですね…スミルノフではなくシモノフが正解…スミルノフてウォッカですか…

「Stg44突撃銃」遺棄された小火器リストに含まれていないので、実際に使用されたかは不明です…

こちらは詳細不明ですがインドシナ半島に持ち込まれていたStg44…WW2後、フランスで弾薬が製造されていた、との話もあるようです。戦後、あちこちの国(チェコスロバキア等)で製造されていた小銃なので、特別珍しくはないかもしれません。
こんなとこかなぁ…しかし、間違いが多過ぎですね。
添削し始めると本当に疲れます…
参考:映画「デンジャー・クロース 極限着弾」公式サイト
Danger Close: The Battle of Long Tan Facebook
2022年06月23日
『デンジャー・クロース 極限着弾』を考察する⑨ ロンタンの戦いは50年間封印されたのか?②

ちょっと長いですが、『DANGER CLOSE: The Battle of Long Tan』プロダクションノートから抜粋。DeepL翻訳でザックリと日本語化…
~物語とこの映画の重要性~

『DANGER CLOSE』は、この戦いの事実が非常に重要であり、タイムリーな映画である。
ベトナム戦争へのアンザック(ANZACs)の参加は、国際的にほとんど知られていないか、あるいはほとんど忘れられている。
驚くべき事実は、オーストラリアが最後にアンザック映画を製作してから30年以上経っていることです。
オーストラリアが製作した戦争大作映画のほとんどが、第一次世界大戦を扱ったものである。
1981年の『ガリポリ』と1987年の『砂漠の勇者』が挙げられます。
「ロンタンの戦い」は特別な事実であると同時に、執念、不屈の闘志、劣勢を語り継ぐべき永遠の物語でもある。
この戦いで、108人の若く、ほとんど経験のないアンザック兵士たちが2,000人の熟練兵と戦いました。
「私たちは、このような結束、敗北を受け入れない個人と個人の絆を常に思い出すことが必要です。」
と、クリブ・ステンダース監督は述べています。
「ベトナムに行った兵士たちは、本当に理解されなかった」と彼は続ける。
「彼らは傭兵と呼ばれ、罵倒されました。RSL(退役軍人専用慰安施設)のクラブに入ることさえ許されなかった。
しかし彼らは、ロンタンの戦いだけでなく、ベトナム戦争全体を通して、どのような活躍をしたのか。
1966年8月の午後、4時間にわたって繰り広げられたこの戦いが、彼らの心に深く刻み込まれていることを、私たちは知ることができます。
この戦いは、50年以上にわたって彼らを苦しめ、多くの傷跡を残してきたのです。
この映画は、その恐ろしさを露わにし、観客に彼らが経験したこと、そして、彼らが抱かなければならなかったことを教えてくれる。
そして、50年以上もの間、ほとんど無言で抱き続けなければならなかったものを、観客に示すものです。」
プロデューサーのマイケル・シュワルツはこう述べます。
「DANGER CLOSEは、今この瞬間にとても重要な映画です。
特にオーストラリアとニュージーランドにとって。このような映画は滅多にありません。
アメリカはこういう映画をよく製作します。私たちが戦争の英雄を称えるときは、しばしばオーストラリアの古典的な自虐的な方法で行われます。
ベトナム戦争は政治的にも不人気な戦争として片付けられてしまいました。
しかし、要求された以上のことをやり遂げた彼らを称えることが、現在のオーストラリアに必要なことなのです。
彼らは超人的なヒーローではなく、英雄なのです。」

劇中でジャック准尉を演じたアレックス・イングランドは、ロンタンの戦いの退役軍人と、その日に亡くなった人々への敬意が必要だと感じています。
「第一次世界大戦と第二次世界大戦に赴いたディガー(Digger:豪州兵のあだ名)達は、しばしば上層部の命令を無視してでも戦友を助けあい、守り抜く行動に出ていました。
これらの要素は全て、ロンタンの戦いと結びついています。ロンタンの戦いは、私たちを構成する重要な要素だと思います。」

ラージ二等兵役のルーク・ブレイシーも、こう付け加える。
「歴史を知ることはとても大切なことです。もし私たちが失敗から学ばないのなら、私たちは同じことを繰り返す運命にあります。
この人たちが私たちのためにしてくれたことを、私たちは決して忘れてはいけないのです。
この物語とその語り方が、ロンタンの戦いの教訓を様々な観客に伝える手段になることを願っています。」

バディ伍長役のラザラス・ラトゥーリーは語ります。「この物語は、非常に残酷な状況の物語です。しかし彼らの仲間意識と友情から生まれる素晴らしいものがあります。信じられないほど感動的でした。」
プロデューサーのマーティン・ウォルシュは語る。
「新しいアンザックの神話と伝説を作り続けることが重要なのです。
この映画は、ほとんど認識されていないアンザック・ベトナム帰還兵の全世代の名誉を不滅にするだけでなく、古傷を癒すのに役立つかもしれません。
これは本当に普通の少年が並外れた男になったという真実の物語なのです。」
ざっくり訳すとこんな感じです…
と、作品を制作した意義としては、ベトナム戦争から50余年が経過したなか、ほとんど語られなかったベトナム退役軍人とロンタンの闘いを見つめ直す必要性に駆られた、といったところでしょうか。
日本国内配給会社の"50年の封印を解き、その全貌が明らかになる!"は、長く語られることのなかったロンタンの戦いの全貌が明らかになる!
なんてニュアンスで考えれば、あながち間違いでもない、かもしれませんね。
でも、内容を完全に読み違えている人がいらっしゃいました…
どうやら、オーストラリア政府としては「ロンタンの闘い」は不名誉な戦闘内容であり、それをひた隠しにしたい思惑がある、だから50年も語られなかったのだ…なんて、ほぼ陰謀論めいた妄想ですね…
「日本公開時に、本作品の後援を在日オーストラリア大使館に依頼したが断られた。」これはオーストラリア政府が本作戦を封印したいからである、ともコメントされていました。
ちょっと、いや、かなり驚きましたね。
ホントに本作品を鑑賞されたのかも分かりません。
本当に最悪です。
参考:DANGER CLOSE: The Battle of Long Tan公式サイト
FINAL_Danger_Close_The_Battle_of_Long_Tan_Production_Notes.pdf
2022年06月23日
『デンジャー・クロース 極限着弾』を考察する⑨ ロンタンの戦いは50年間封印されたのか?①
『デンジャー・クロース 極限着弾』
日本公式サイトから抜粋→
『これは、ベトナム戦争中オーストラリア軍108名人が南ベトナムの農園地帯“ロングタン”で南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)軍約2,000人を相手に戦った「ロングタンの戦い」を壮絶に描く、史実を基にした本格戦争映画だ。この戦いは、オーストラリア軍戦死者18人、負傷者24人というオーストラリアが戦ったベトナム戦史上、1日の損失で最大の戦いであったのにも関わらず、その功績を称えられることがなく50年もの間埋もれてしまっていた。』
←引用ここまで

こちらは日本公開版のリーフレット。"50年の封印を解き、その全貌が明らかになる!"と記載されています。
映画が本国で公開されたのは2019年で、日本での公開が2020年…
ロンタンの闘いは1966年なので、あれこれ計算が合いません。
ロンタン・クロスが建てられたのは1969年だけど…

オーストラリアでは8月18日はベトナム退役軍人の日(ロンタンの日)とされていますが…果たしてロンタンの闘いは封印されていたんでしょうか?
圧倒的な敵兵力数を退けた6RAR(オーストラリア陸軍第6歩兵大隊)D中隊の敢闘は、南ベトナム軍事援助司令部(MACV)とベトナム共和国軍司令部と、オーストラリアのハロルド・ホルト首相から絶大な賛辞を受けています。
1968年5月28日、アメリカ合衆国のリンドン・B・ジョンソン大統領から6RARに対して大統領部隊感状(Presidential Unit Citation)が授与されています。後にオーストラリアから6RARに対して戦闘名誉章(Battle honour Long tan)が贈られています。
D中隊を率いたハリー・スミス少佐をはじめ、戦闘に参加した兵士は殊勲されています。

Military Close授与後のハリー・スミス少佐。何とも言えない表情ですな。
前述しましたが、オーストラリアでは8月18日はベトナム戦争退役軍人の日とされています。
2006年にはロンタンの闘いから40年という節目に、オーストラリアでドキュメンタリー番組が放送されています。

『The Battle of Long Tan』
ナレーションはサム・ワーシントン。最近、姿を見ないなぁ…
実は2016年公開を目指して、ロンタンの闘いを映画化する企画が進行していました。企画時はハリー・スミス少佐をサム・ワーシントンが演じる予定でした…しかし資金調達を含めて映画化は遅れました…

クラウドファインディングとオーストラリア政府からの助成金も受けて、何とか映画は完成しました。
長くなりそうなので続く…
参考:http://dangerclose.ayapro.ne.jp/info/introduction
DANGER CLOSE: The Battle of Long Tan - Transmission Films
日本公式サイトから抜粋→
『これは、ベトナム戦争中オーストラリア軍108名人が南ベトナムの農園地帯“ロングタン”で南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)軍約2,000人を相手に戦った「ロングタンの戦い」を壮絶に描く、史実を基にした本格戦争映画だ。この戦いは、オーストラリア軍戦死者18人、負傷者24人というオーストラリアが戦ったベトナム戦史上、1日の損失で最大の戦いであったのにも関わらず、その功績を称えられることがなく50年もの間埋もれてしまっていた。』
←引用ここまで

こちらは日本公開版のリーフレット。"50年の封印を解き、その全貌が明らかになる!"と記載されています。
映画が本国で公開されたのは2019年で、日本での公開が2020年…
ロンタンの闘いは1966年なので、あれこれ計算が合いません。
ロンタン・クロスが建てられたのは1969年だけど…

オーストラリアでは8月18日はベトナム退役軍人の日(ロンタンの日)とされていますが…果たしてロンタンの闘いは封印されていたんでしょうか?
圧倒的な敵兵力数を退けた6RAR(オーストラリア陸軍第6歩兵大隊)D中隊の敢闘は、南ベトナム軍事援助司令部(MACV)とベトナム共和国軍司令部と、オーストラリアのハロルド・ホルト首相から絶大な賛辞を受けています。
1968年5月28日、アメリカ合衆国のリンドン・B・ジョンソン大統領から6RARに対して大統領部隊感状(Presidential Unit Citation)が授与されています。後にオーストラリアから6RARに対して戦闘名誉章(Battle honour Long tan)が贈られています。
D中隊を率いたハリー・スミス少佐をはじめ、戦闘に参加した兵士は殊勲されています。

Military Close授与後のハリー・スミス少佐。何とも言えない表情ですな。
前述しましたが、オーストラリアでは8月18日はベトナム戦争退役軍人の日とされています。
2006年にはロンタンの闘いから40年という節目に、オーストラリアでドキュメンタリー番組が放送されています。

『The Battle of Long Tan』
ナレーションはサム・ワーシントン。最近、姿を見ないなぁ…
実は2016年公開を目指して、ロンタンの闘いを映画化する企画が進行していました。企画時はハリー・スミス少佐をサム・ワーシントンが演じる予定でした…しかし資金調達を含めて映画化は遅れました…

クラウドファインディングとオーストラリア政府からの助成金も受けて、何とか映画は完成しました。
長くなりそうなので続く…
参考:http://dangerclose.ayapro.ne.jp/info/introduction
DANGER CLOSE: The Battle of Long Tan - Transmission Films